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 「これが新人か!?」とおもわず言いたくなるような“大ベテランのオーラ”を放つ女性シンガーが現れた。去る2008年7月12日、オランダのロッテルダムで行われたノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの2日目に出演したメロディ・ガルドーのライヴを観て、彼女の“大物ぶり”にノックアウトされてしまった。
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Melody Gardot

そのステージは……
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Melody Gardot Live
 ロングの金髪にうすい色つきメガネと真っ赤な口紅ですらりとしたスタイル。ステッキを持って薄暗い舞台に登場したガルドーは、まずはたったひとりでスキャットを披露。その瞬間から聴衆を自分の世界にしっかりと引きずり込んだ。2曲目からはトランペットとベースとドラムをバックに歌い、さらに自らもピアノを弾いたり、アコースティック・ギターで弾き語りも観せる。
 彼女の本国アメリカやヨーロッパでは今年の春に発売され、もうすぐ日本でもこの8月27日にリリースされる彼女のデビュー・アルバム『夜と朝の間(はざま)で』(UCJ/原題:Worrisome Heart)に収録された曲(すべてガルドーの作詞作曲)の他に、「Ain't No Sunshine」や「Over The Rainbow(虹の彼方に)」などのスタンダードも織り交ぜたそのステージでは、女性ジャズ・ヴォーカルの巨星ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルド、ニーナ・シモンなどに通ずる個性的な歌いっぷりだけでなく、ピアノを弾く時に椅子に座ってハイヒールを脱ぎ捨て、弾き終わると今度はそのクツを素足で探るが片方が見つからず、「シンデレラ症候群かしら(笑)」などと冗談を言ったり、自分の黒い網タイツのほつれをMC材料にしてしまうという開けっぴろげな余裕も見せてくれた。飾り気のないそのしぐさが身近な女性を感じさせなくもないが、それと同時に「我々には手の届かないとてもスペシャルな存在」という絶対的な雰囲気も強烈に放つ。美しくも妖しい魅力を振りまきながら、ジャズ特有の深み、物悲しさやけだるさといったものをこれだけ自然に表現することができる女性歌手には、ここ最近お目にかかっていなかった。
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シンデレラ症候群!?

 米国フィラデルフィア出身のシンガー・ソングライター、メロディ・ガルドーは、現在23歳。彼女の公式サイト(www.melodygardot.com 現在このサイトは行方不明?)によると、ガルドーは19歳のときに自転車で車にはねられて重傷を負い、その後遺症のため今でもサングラスとステッキが離せないという。いろいろな情報を総合すると、その事故は下半身麻痺や記憶障害(一時的なもの)、さらに視覚聴覚等の障害をともなう生死に関わる重大なものだったらしい。しかし彼女は、医師の勧めにより以前から好きだった“歌う”という音楽セラピーを行い奇跡的な復活を遂げたそうだ。なるほど、彼女の歌の深みが半端じゃないのは、そんな背景も大きく影響しているのであろう。
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写真はすべて2008年7月12日、ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルのステージから。

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by ReijiMaruyama | 2008-08-13 06:18 | Musician / Interview

 「あのことがなければ現代のような音楽の発展はなかったんじゃないか」という問い方が、カサンドラに対してかなり無骨な言い方であることは承知の上だった。1996年11月30日、デュッセルドルフでコンサート前のカサンドラ・ウイルソンを宿泊先のホテルに訪ねてインタヴューした時のことである。「アフリカの影響こそアメリカの音楽に固有のもの」と言うカサンドラの言葉を受けた筆者は、「あの悲しい歴史を唯一良い方に解釈するとすれば」と断りを入れた上で、あえて黒人奴隷制度にふれた先の質問を投げかけてみた。案の定カサンドラは、それに対してすかさず言い返してきた。「私たちはひどい仕打ちを受けたのよ。私たち黒人の中に重くのしかかっているのは、その暗く痛みに満ちた歴史なの」と。しかし、こちらの言わんとすることもわかってくれたのか、さらに次のような言葉を続けた。
 「でも…、その“痛み”の裏返しによって私たちはこれまで“美”を創造し続けることができたとも言えるわ」。
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Cassandra Wilson 2005年7月8日撮影

 いまでこそ名実共にアメリカの女性ジャズ・ヴォーカル界を代表するという地位を得たカサンドラだが、当時はまだ日本でも彼女の人気に火がつきはじめた頃だった。ブルーノートにレーベルを移して発表したアルバム『ブルー・ライト』(93年)に続く新作『ニュー・ムーン・ドーター』(95年)が好評で、そのアルバムで96年度のグラミー賞(ベスト・ジャズ・ヴォーカル・パフォーマンス)を受賞するちょっと前。ツアー中にドイツでテレビのトーク番組に出演するなど積極的なプロモーションを行っていたが、その彼女のインタヴューを取るのはなかなか厳しいとも聞いていた。しかしカサンドラは、この日のスケジュールがタイトになってきているにも関わらず、約束していた予定の時間をオーバーしながらこちらの質問にていねいに答えてくれた。

なぜ、そして何のためにあなたは音楽で表現するのですか?
 「私がなぜ音楽をやってるのかって? それ以外に方法がないからよ(笑)。他にチョイスがなかったの。小さい頃から私の周りに音楽が溢れていて、それは生活の一部だったのよ。クラシックも学んだし、父はギタリストでジャズを愛していた。母はモータウンが大好きで、兄弟はダンスが上手(笑)。私はカントリー、ブルース、フォークとかいろんな音楽を聴いて育ったの。それらひとつひとつのものが集まっていまの私の音楽を形成しているのよ」。
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ライヴでリラックスしてくるとステージの上でかかとがぺたんこのクツを脱ぎ捨てて裸足になる 2003年7月12日撮影

 聴く側だけでなく演奏する者の心も捕らえて離さないジャズの醍醐味は“即興”である。そしてそれは、楽器だけでなく歌についても同じだ。カサンドラもステージでどう歌うかということは前もって決めないという。「単調なのは嫌いなの。大変だけどいつもできるだけフレッシュにやるようにしているわ。昨日何マイルも離れた街の人たちの前でやったことと同じことなんて、やりたくないし出来ない。今夜のコンサートに来る人たちは、昨日コンサートに来た人たちとは違ったムードを持ってくるでしょう。日も違うし、今日は雨も降っているわ。人々のヴァイブレーションや、きめの細かさとか匂いや色といったものには、それぞれの街によって独特のものがあるの。だから私はコンサートの度に街へ出て、そこの人たちから得たムードをその日の歌に反映させるのよ」。

デュッセルドルフの聴衆をがんじがらめにした深みのある歌声
 その夜、カサンドラのライヴをはじめて観た。彼女が登場して歌い出すと、その瞬間にホールの空気が一変。聴衆は息をするのもはばかるようにしてじっと聴き入っている。まるでカサンドラの歌にがんじがらめにされているかのようだ。後にも先にもこのことが一番強く印象に残っている。しかしそんな重苦しい雰囲気の中で、蛇ににらまれたカエルのようにいつまでもじっとしていたら誰だって苦痛だろう。カサンドラもそれを承知しているようで2~3曲歌い終えると、「もうコンバンワってご挨拶したかしら?」などと言いながら笑顔を見せて観客の気持ちを和らげることも忘れていなかった。

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このページの写真は、いずれもオランダのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルに出演した時のステージから この3枚は2002年7月14日撮影c0182910_4252396.jpgc0182910_4255714.jpg
 西アフリカ・ガーナのアシャンティ部族のことわざに「新月(New Moon)は病を治癒する」というのがあるそうだ。自由な発想とその独特の歌唱力により創り出されるカサンドラ・ウイルソンの音楽には、いわゆるヒーリング・ミュージックとはまた違った実に深い空間が存在している。それを一言でいうと、「思いっきり黒っぽい」。そして、それが何年経っても変わらない。彼女のように、自分らしさを追求し、それを前面に押し出した活動を続けるということは、すべてのアーティストが理想とするものであるにちがいない。

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by ReijiMaruyama | 2008-06-03 10:23 | Musician / Interview

 アフリカのある国の王様がけらいに言った。「この国で一番腕の立つ音楽家を1人だけ探して連れて来い」。人々は国中を隅から隅まで捜し歩いた末に2人の男を王の前に連れ出した。「この2人は父親とその息子です。どちらも優れた音楽家で甲乙つけがたく、我々には1人だけ選ぶことができませんでした。王様のご判断にお任せいたします」。2人は代わる代わる笛を吹き鳴らし太鼓を叩いて得意の唄を歌った。その演奏を聴き終えた王は、ちゅうちょなく父親の方を最も優れた演奏家として召し抱えた。「王様、なぜ父親の方が優れていたのでしょう。私どもにはわかりません」。けらいたちが尋ねると王は言った。「演奏する2人の姿をしかと見たか。息子は汗だくだったが、父の方は涼しい顔でやっていたではないか」。
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Richard Bona
2008年4月11日、春のヨーロッパをツアー中のリチャード・ボナ(b,vo)をドイツ・ルール工業地帯の街ドルトムントで撮影。

Richard Bona Live in Dortmund 2008.04.11 at domicil
 フェミ・クティは舞台の上で上半身裸になって汗まみれ。ステージ衣装がスーツにネクタイというメイシオ・パーカーも演奏中はいつも汗びっしょりだ。ジャズ史に巨大な足跡を残したサックス・ジャイアント、ジョン・コルトレーンもしかりで、コルトレーン以下バンドのメンバー全員が体から湯気が立つほど汗をかいている生前のライヴ映像が残っている。だから「良い演奏家=汗をかかない」とは一概に言えないかもしれないが、今回ここに登場するリチャード・ボナは、ものすごいプレイを汗ひとつかかずに楽々とこなす、まさに「国王好み」のミュージシャンである。
 1999年5月13日にドイツのレヴァークーセンでボナにはじめて会ってインタヴューした時、「ベースを弾くのにマッチョである必要はまったくない」とボナは言っていた。音楽は、“力まかせ”だったり“苦労”や“苦痛”を伴ってやるようなものではない、という考え方なのだ。

 さて、ドルトムントで観たボナの最新ライヴは、キャパ400人ぐらいのオール・スタンディングのホールに満員の観客を集めて行われた。
 ボナ・バンドは、ボナを含めて6人編成だが、この日はパーカッションのサミュエル・トレスが欠けていた。ボナのツアー・マネージャーによると、トレスを含むボナ一行は4月7日にハンガリーでのライヴを無事に終えたが、同国出国の際にトレスのビザ(査証)だけがその1日前に切れていた事が発覚、トレスはそのまま当地で1週間の足止めを食らっており、彼が再びツアーに合流するまでドイツとスロバキアの計4回のライヴをトレス抜きのメンバー5人(エティエンヌ・スタッドウィック/kb、テイラー・ハスキンス/tp、アーネスト・シンプソン/ds、アダム・ストーラー/g、ボナ)で行うということだった。ドルトムントのライヴは、トレスのラテン・グルーヴを欠きながらも、ボナがいつも通りのハイ・グレードなステージを展開して2曲のアンコール(最後は今回のツアーで初登場したノリの良いアフリカン・ポップ風の新曲)を含む2時間あまりの熱演を観せ、それを受けた聴衆も大合唱で歌い踊り大いに盛り上がっていた。
 この日のコンサートを主催したのは、ボナと同じアフリカ・カメルーン出身のCEOが経営するドルトムントのイヴェント会社だ。そのためか会場内にはドイツ人に混じってカメルーン人とおぼしき観客も数多く見受けられた。ボナは、ステージの上では母国語のドゥアラ語やフランス語で大声援を浴び、ライヴ後の楽屋では主催者が用意した手作りのカメルーン料理に舌鼓を打って、終始ご機嫌の笑顔を見せていた。そんな同国人の温かい後ろ盾を得たボナが、この日のライヴで本領を十二分に発揮したのはしごく当然のことだったのかもしれない。

c0182910_12384524.jpg ボナ・バンドの新しいギタリスト、アダム・ストーラーは、ボナが以前NY大学でレッスンをつけていたボナの教え子。昨年秋のヨーロッパ・ツアーからボナ・バンドに参加している。
 師は、この日のステージでも愛弟子に温かいまなざしを送り続けていた!

ボナの新作ライヴ・アルバム "Bona Makes You Sweat"
 これまでボナのライヴを何度も観てきたが、ボナの躍動感に溢れたグルーヴを会場で受け止めていると、いつもじっとしていられず体が自然と熱くなって、気がつくと汗まみれの自分がそこにいる。先月発売されたボナの新作は、ボナ5作目にしてベース・ファン待望のライヴ盤となった。アルバム・タイトル(原題:Bona Makes You Sweat)が示す通り、たっぷり汗をかかせてくれるボナ・ライヴの興奮がしっかりと詰め込まれたボナ会心の作である。ちなみにこのアルバムの邦題は『リチャード・ボナ/ライヴ』。ハンガリーのブダペストで録音されたこのアルバムは、ベース・ファンのみならず、すべての音楽ファンにお薦めしたい。
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 これは2006年11月19日にベルギーのブリュッセルで行われたライヴのショット。ボナの新作ライヴ・アルバムの裏ジャケットに使われている。ちなみに、このCDには他のフォトグラファーが別の日に別の場所で撮影した写真も使われている。筆者のカメラによるものはこれ1点のみである。

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by ReijiMaruyama | 2008-04-19 05:28 | Musician / Interview

第7回:本家本元

c0182910_11342073.jpg アフロ・ビートの元祖といわれるフェラ・クティ(1997年没)を父に持つフェミ・クティ。父の没後10年という区切りの年となった昨年も夏のヨーロッパ・ツアーを行ったが、これまでにも父の残した遺産を引き継いで各地でアフロ・ビートの嵐を巻き起こす精力的な活動を続けてきている。






Femi Kuti




2003年7月11日、オランダで行われたフェミ・クティのライヴ


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     激しいライヴで水分補給は重要!  得意の循環呼吸奏法も観せる

c0182910_115379.jpg 地元ナイジェリアのラゴスでは4時間のショーがあたりまえというフェミ・クティ。この日はオランダのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルに出演したが、数多くのアーティストのプログラムが組まれたジャズ祭では各ステージの演奏時間にも限りがある、ということでフェミの持ち時間も普段の半分以下。ところが、そのステージは相変わらずのハイ・テンションで、それを受けた会場も「これが4時間続いたらいったいどうなるのか」と言いたくなるほどの盛り上がりを見せていた。
 フェミは、客席から見て舞台の中央やや右寄りでキーボードを弾き、アルトとテナーとソプラノ・サックス、それにトランペットをとっかえひっかえ演奏しながら、政治色の濃い歌詞を本家本元のアフロ・ビートに乗せて汗まみれで歌い踊る。上半身裸になって筋肉隆々の厚い胸板を見せながらサックスの循環呼吸奏法で会場を盛り上げる場面は圧巻だ。
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 その主役の熱いパフォーマンスを支えるのは総勢14人のバンド、ポジティヴ・フォースである。トランペット、フリューゲル、トロンボーン、テナー&バリトン・サックスという5人のホーン・セクションがブリブリとアンサンブルを吹き鳴らし、コンガとボンゴを中心にセットしたパーカッション2名が強烈なクラーベを叩き出し、ギター、キーボード、ベース、ドラムもひたすらグルーヴ。さらにシンガー兼ダンサーの女性3人がフロントで腰を振りながら歌う、というにぎやかなもの。
 ノース・シーで観たフェミ・クティのライヴ、それは75分間の大熱演による大汗にまみれたハイ・テンションのステージだった。

ポジティヴ・フォースのシンガー兼ダンサーの3姫
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笑顔を振りまきながらカラバスやクラーベ、シェイカーなどを鳴らし歌い踊る
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    褐色の肌に鮮やかなアフロ・カラーのステージ・コスチュームが映える

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by ReijiMaruyama | 2008-04-03 15:38 | Musician / Interview