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 2010年11月6日から8日間に渡って行われたドイツ・レヴァークーセンのジャズ祭、レヴァークーゼナー・ジャズターゲ。今年は、ギター・ファンが泣いて喜びそうなスペシャル・プログラムが3日間組み込まれていた。

Leverkusener Jazztage 2010 - Masters of Guitar programs-
初日(11月6日) Masters of Acoustic Guitar:
パコ・デルシア(g)/アル・ディメオラ(g)/ジョー・ロビンソン(g,vo)
3日目(11月8日) Masters of Blues Guitar:
ジョニー・ウインター(g,vo)/エリック・サルディナス(g,vo)
4日目(11月9日) Masters of Electric Guitar:
ジョン・スコフィールド(g)/アラン・ホールズワース(g)/スティーヴ・ルカサー(g,vo)
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パコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”
 人気ギタリストのオンパレード! アコースティック、エレクトリック、ブルースの3つのギター界で人気と実力を誇るギター・マンたちが個性的なライヴを観せた中で、最も注目され話題になったのは、初日に行われたパコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”である。この日まで約14年間ひと言も口をきかない絶縁状態にあった2人は、まるでお互いにそのギャップを埋めるように、楽しそうに笑顔を見せながらデュオで1曲プレイした。それは、熱心なファンなら何をやったのかすぐに察しがつくかも知れないが、この2人がジョン・マクラフリン(g)と組んだスーパー・ギター・トリオの名盤アルバム『フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ~スーパー・ギター・トリオ・ライヴ!』(81年)に収録されていた名曲だった。この2人の共演に関する詳しいことは、上記したギター・マンたち(サルディナスをのぞく7人)のライヴの様子と各人の使用機材のことなども含めて、12月14日発売のジャズライフ2011年1月号でレポートしている。ギター好きの方は、ぜひジャズライフ1月号をチェックしていただきたい。

Masters of Acoustic Guitar
 さて、ここからはジャズ祭に出演したギタリストを中心に、その出演順に写真で紹介してみたい。
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 アコースティック・ギターにサム・ピックを使ったフィンガー・スタイルで素晴らしいプレイを観せた、オーストラリア出身のジョー・ロビンソン。ソロ・デビュー作『バードシード』をリリースしたのは、いまから4年前、なんと15歳の時!
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 こちらは、アル・ディメオラのアコースティック・プロジェクト、ニュー・ワールド・シンフォニア。
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 そして、情熱的なフラメンコダンスもフィーチャーして、目と耳で楽しませてくれたパコ・デルシアのバンド。パコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”は、このライヴのアンコールで行われた。

Masters of Blues Guitar
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 ジョニー・ウィンターのステージ。2曲プレイしたアンコールの1曲目には、この日ジョニーのサポート・アクトを務めたエリック・サルディナスが、ドブロ・ギターにボトルネックで飛び入りした。ジョニーは、1年半前にインタヴューした時(『永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター』/文末のリンク集参照)よりも頬の辺りがちょっとふっくらとした感じで体調も良さそうだった。

Masters of Electric Guitar
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 ドラムのビル・スチュワートとベースのスティーヴ・スワロウとのトリオで出演して、もっともジャズ的(?)なプレイを観せたジョン・スコフィールド。
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 プロ・アマを問わず、世界中のギタリストが熱い視線を向けるアラン・ホールズワース。ホールズワースのギターのプレイ・スタイルやサウンド、音楽性は、まさにワン・アンド・オンリーだ。
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 スティーヴ・ルカサーのプレイは、ポピュラー・ミュージックが好きな人なら、彼の最近のソロ活動やTOTO以外にも必ずどこかで無意識のうちに聴いている。70年代からスタジオ・ミュージシャンとして超売れっ子だったことを、どこかのサイトで見たインタヴュー・ビデオで本人が語っていた。それによると、TOTO時代にマイルス・デイヴィスから「俺のレコーディングに参加しろ」と言われたが、忙しすぎたのでマイルスのその誘いを丁重に断ったそうだ。もったいない。
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 ルカサーの最新アルバム『オールズ・ウエル・ザット・エンズ・ウエル』に収録されている新曲を中心に、ロック・テイストあふれるステージを展開したルカサー・バンドの紅一点。演奏はもちろんのこと、メンバーの中でただひとり踊りながらプレイするそのルックスもなかなかクールだった女性ベース、レネ・ジョーンズ。

*** つづいてここからギター・プログラム以外のライヴ ***

実力派ドラマー3人が自己のバンドでコンサートを行ったDrum Word
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 ジャズ祭5日目に行われたドラム・ワールドのトップバッターは、サックスとピアノとベースを加えたクアルテットで出演したマヌ・カッチェ。素晴らしい演奏を観せたマヌは、オーディエンスの盛大な拍手を受けながら最後にこう言った。「申し訳ないけど、僕がこれ以上ステージを占領しているわけにはいかない。このあとまだまだ素晴らしいドラマーが登場するんだ。このステージに立つことができて光栄だよ」。
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 2番手はオマー・ハキム。サックスのボブ・フランセスキーニやベースのジェリー・ブルックスなど、気心の知れた友人たちにサポートされて、洗練されたドラミングと素晴らしいオリジナル楽曲の数々をのびのびと披露した。
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 そして、この日のトリは、“元祖ドラムの手数王”ビリー・コブハム
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 コブハムは非常にひょうきんな人だ。演奏中、筆者のカメラに向かっておどけた表情を観せてくれた。
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 4本スティックの妙技も観せたドラム・マスター。
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 スティール・ドラムも加えたビリー・コブハム・バンドのライヴ。アンコールでプレイされた「ストレイタス」は、ぐっとテンポを落としてはじまったあと、コブハムのスネア・ロールから一気にスピードアップした。途中で各人のソロが展開して行くのはいつも通りだったが、エスニックなワールド・ミュージック風味を取り入れて新しいアレンジが施されていたのが新鮮だった。ドラムが主役のこの日は、ちょっと年齢層が高めの男性客が数多く詰めかけていた。

Voices of Africa
 6日目は、アフリカ中央部コンゴ民主共和国出身のシンガー、ロクア・カンザが自身の歌とアコースティック・ギターの美しいサウンドで会場を包み込んだあと、西アフリカ・マリ出身の人気シンガー、サリフ・ケイタが登場。
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 サリフ・ケイタのバンドは、コンガやジャンベ、カラバシ(大きなヒョウタンを半分に割ったものを伏せてそれを手で叩く)などの打楽器奏者3人と、ギタリスト2人、ベース、ゴニ(コラに似た弦楽器)、それに女性シンガー2人という総勢10人の大所帯で、ゴニ奏者のアクロバチックなプレイやジャンベ奏者の叩きまくりなどのソロ・パフォーマンスも織り交ぜながら、ダンサブルなステージを展開した。
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 西アフリカのビートで踊りまくる会場に向かって「君と君、それからあなたも」と、オーディエンスを指差して……
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 20人ぐらいの観客を舞台に引っ張り上げて踊らせる。以前、別の記事『ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ~音楽編』(リンク集参照)にも書いたが、アフリカでは、ミュージシャンがコンサートで演奏している時、そのステージに聴衆が上がり込んで一緒に踊りだすのは当たり前のことなのだ。

2010年のジャズターゲのメイン会場フォーラム
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 ホール内では出演アーティストたちのCDやポスター、ツアーTシャツ、それにジャズ祭のTシャツ(今年も主催者がジャズライフ読者へのプレゼントに提供してくれた!)などのグッズも売られている。
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 ドリンク売り場。ケルンの地ビール(ビン入りと生の両方がある)やソフト・ドリンク、ワイン、ゼクト(スパークリングワイン)、ウォッカなどがプライス・リストに記されている。価格は、ビールやコーラなどが1WM、ワインは2WM……???
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 CDやTシャツなどのグッズは現金で販売されているが、ドリンクやスナックを買いたい人は、まずはこのようにWM(Wertmarke/代用貨幣)を手に入れてから売り場へと向かう。1WMは2.50ユーロだった。
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ブラボー!

リンク集:
●ジャズライフ (jazzlife.co.jp)
●レヴァークーゼナー・ジャズターゲ(Leverkusener Jazztage 2010)
●ロックパラスト・ギター・スペシャル (2008年のジャズターゲ/本サイト内の記事)
●ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ~音楽編 (西アフリカ・ブルキナファソ旅行記/本サイト内の記事)
●永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター (2010年5月に行ったジョニー・ウィンターへのインタヴュー/本サイト内の記事)

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by reijimaruyama | 2010-12-17 14:08 | Jazz Festival

 パット・メセニーが、新作アルバム『オーケストリオン』を制作したと聞き、そのプロジェクトの詳しい内容を知った時はびっくり仰天した。それは、生のアコースティック楽器をいくつも組み込んだ自動楽器演奏装置“オーケストリオン”を、メセニーが、たったひとりで、ギターやフット・ペダルなどを使ってコマンドを出しながら、リアルタイムで鳴らして曲を演奏するというもの。楽器を鳴らすために必要な物理的な力は、電磁力(ソレノイド・パワー)や空気力学を応用して作り出しているそうだ。

 今回は、2010年2月から3月にかけて行われたパット・メセニー・オーケストリオン・ヨーロッパ・ツアーから、3月6日にドイツのケルンで行われたコンサートの模様と、それを観て感じた事などを写真と共に紹介する。ちなみに、このケルン・コンサートについては、すでにジャズライフ5月号で詳しく報告してあるので、ここではその記事の中に書ききれなかったことを中心にお伝えしたいと思う。
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Pat Metheny Orchestrion Tour in Europe
at Kölner Philharmonie, Cologne, Germany on March 06, 2010
2010年3月6日、ドイツ・ケルン/ケルナー・フィルハーモニーにて

究極のメセニー・ミュージック
 メセニーのこのプロジェクトに対して賛否両論がある。「素晴らしい!」という絶賛に対峙する言葉は、サーカス、大道芸人、チンドン屋……。そんな極端なことを言う人は少数派かもしれないが、たしかに存在する。言論の自由があるので何を言おうとかまわないし、ひとりひとりが自分の好き嫌いで判断すれば良いことだが、ひとつだけはっきりと言える事は、「パット・メセニーのオーケストリオン・プロジェクトは、お遊びや気まぐれでやるには、金と時間、そしてメセニー本人や彼のスタッフの労力も、すべてが膨大すぎる」ということ。「バンドでやっていることとあまり変わらない。なにもこれを機械にやらせなくても……」、と言うもっともな意見(?)もある。しかし、ミュージシャンがやりたいことをやらなく(やれなく)なったら死んだも同然。その意味でパット・メセニーは、まさにいま生き生きと活動している“しあわせな音楽家”だと言える。

 メセニーの音楽は不変だ。それは、これから何年経ってもまず変わることはないだろう。そして、このオーケストリオン・プロジェクトも、まぎれもない“パット・メセニーの音楽”である。良いか悪いか好みの問題はさておいて、これほど大胆で野心的なことをジョークにしないで(これ重要!)、やり遂げることの出来るミュージシャンがいまこの世の中でメセニーの他に存在するだろうか。このプロジェクトでメセニーが目指したものは、「自分の音楽を、オーケストリオンを使って、自分の思い通りに、自分ひとりでその場で演奏すること」である。オーケストリオンは、メセニーのコマンドに対して、“何の思わくも入れず”忠実に従う。これこそ“究極のメセニー・ミュージック”ではないか。
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自動楽器演奏装置オーケストリオン
 オーケストリオンは、いまから100年も前にビッグ・ビジネスとしてレストランやバーなどでもてはやされたものだという。ドイツのライプツィヒが発祥の地であるらしい。だがその後、録音技術の進歩と共に姿を消した。いまではコンピュータで完璧な音楽を作ることも出来るが、メセニーのオーケストリオンは、そういうシンセサイザーやシーケンサーを使ってあらかじめ準備しておいた音源ループを鳴らすものとは異なり、ひと昔前のオーケストリオンに現代のテクノロジーを付け加えて、複数の“生きたアコースティック楽器”を同時に鳴らす自動楽器演奏装置である。凝り性のメセニーらしいアイデアだ。
 メセニーと彼のスタッフが4年の歳月をかけて作り上げたというこのオーケストリオン・システムには、ドラムやシンバル、コンガ、マリンバ、ヴァイブラフォン、ピアノ、オーケストラ・チャイム、アコースティック・ギター、エレクトリック・ベース、ギターボット、それにカスタネットやトライアングル、カウベル、シェーカーなどのパーカッション類、さらには水が入った大きさの異なるガラスの瓶を鳴らす装置など、いくつものアナログ楽器が組み込まれている。そして、それらがひとつの大きな機械仕掛けとなり、メセニーの操作のもと、メセニーと一緒に音楽を奏でる。ドラムとシンバルは、ジャック・ディジョネットの使用モデルで、ヴァイブラフォンとマリンバのマレットは、ゲイリー・バートン御用達のものを使っているそうだ。機械仕掛けの中にも人間の個性を付け加えたいという気持ちがうかがえる。“幽霊バンド”と言うなかれ。しかし、「これはもうほとんど病気!?」(あるフォトグラファー)と言いたくなるのもわかる。「天才と変人は紙一重」とはまさにこのことか。

 小さな箱に入れられたオルゴールが奏でるメロディには、電気的に作られたものとは一線を画する情緒がある。乱暴な言い方をすると、そのオルゴールのサイズを大きくして楽器の種類を増やしたものがオーケストリオン。ただし、メセニーのオーケストリオンは、メセニーが、ギターや手元足元の装置(インターフェース)を使って、リアルタイムで各楽器の演奏のニュアンスまで変えることが出来るものである。「楽器の数だけパット・メセニーがそこにいる」、そう考えるとワクワクしませんか? 極論すれば(真偽のほどは本人以外にはわからないが)、メセニーが思った通りに即興演奏することが自分のバンド(たとえばPMG)以上に可能であるのかもしれない。

 すべてが問題なく作動すれば……。

ドイツ・ケルンで観たパット・メセニーの前代未聞の独演会
 去る3月6日にケルンで行われたパット・メセニーのオーケストリオン・コンサートは、メセニーのアコースティック独奏3曲に続き、オーケストリオンを使って、メセニーの新作に収録されていた新曲5曲が一気にプレイされ、その後もオーケストリオンのデモンストレーションを兼ねた3つの即興演奏を織り交ぜながら、PMGのこれまでのアルバムの中から4曲(アンコールを含む)が披露された。その全15曲・2時間30分の充実したステージに、会場に詰めかけた満員の観客も盛大な拍手を送り続けていた。が……、

オーケストリオンのシステムに大トラブルがあった!!!

 まず、開演前にオーケストリオンのインターフェースにトラブルがあり、復旧のために開演時間が30分遅れた。そして、これはうかつにも観ていて気がつかずあとでわかったことだが、コンサートの途中(オーケストリオンを使いはじめて2曲目)に、ステージの右と左に置かれていたギターボットのうち左の1台がパンク! その時、ギターボットから煙が出たため(!?)、メセニーがすぐにその1台だけシャットダウンしたらしい。さらに、その後も開演前と同じ問題がまた生じたため(これも気がつかなかった)、本来は2時間半休憩なしで行うコンサートを途中で20分ほど中断して、その間にフット・ペダルを予備のものに入れ替えてシステムをリセットするという復旧作業が行われた。
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コンサートの冒頭で、カナダの女性ギター・ルシアー、リンダ・マンザーが製作したナイロン弦ギターとバリトン・ギター、42弦ピカソ・ギター(写真)の3台を使って3曲の美しい独奏を披露。
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アイバニーズの丸いシングル・カッタウェイでホロウ・ボディのギターに持ち替え、フィンガー・シンバルのパルスをバックにしばし即興プレイを観せたあと、そのフィンガー・シンバルを観客にアピール。この小さなリズムボックスは、壮大なオーケストリオン・システムに組み込まれた楽器の中でも、メセニーの最良の友と言えるものらしい。メセニーの後方にあるオーケストリオンの楽器群は、まだカーテンで覆われている。この直後にカーテンが開いてオーケストリオンが全貌を現した。

まるで生き物のようなオーケストリオン・システム
 メセニーは、人間のミュージシャンを見るようなまなざしを各楽器に向けながらプレイし、MCの時も楽器たちを「彼ら(these guys)」とか「みんな(everybody)」などと言って、オーケストリオンに対してかなりの愛情を込めているという印象を与えてくれた。オーケストリオンの演奏は、想像していた以上に有機的で手作りの感じが伝わってくるもので、全体的に見て非常に好感が持てた。ただし、あえて言わせてもらうと、各楽器の演奏のダイナミクスには多少の物足りなさを感じる部分もあった。また、“メセニーほどの音楽家のレベル”で量るならば、この日の出来は「及第点」だったかもしれない。本人としても「もっとうまく行くはず」だったのではないだろうか。システム・トラブルのことではない。いや、それと関係があったのかもしれないが、曲のエンディングで、メセニーのギターとオーケストリオンの演奏がぴたりと同期せずタイミングがずれてしまったことがあった。そういうところは、まだなんとなく“あやうい”感じがする。もっとも、そのあやうさがあるおかげで(完璧を目指すメセニーに対しては失礼な言い方かもしれないが)、オーケストリオンが、まるで生き物のようにかわいらしく見えてくるのではある。
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右手前の細長い鉄の板を縦に4つ並べたような姿をしたものが「ヒュンヒュン」という音を出すギターボット。ギター・スタンドに立てかけてあるアコースティック・ギターは、イタリア・ボローニャのギター・ルシアー、ジャンカルロ・スタンザーニとその息子ルカが製作したスタンザーニ・ソレノイド・ギター(文末のリンク集参照)。コンサート中盤にメセニーは、このギターを“手と足で”弾いた。これはイタリア人のギタリスト、パオロ・アンジェリ(Paolo Angeli/リンク集)のプレイにインスパイアされたものらしい。
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もう1本のアイバニーズのギター、パット・メセニー・モデルPM120は、オーケストリオンがどのように動くかを即興演奏によって観客に披露したときに使用された。
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おなじみのRoland Guitar Synthesizer G-303も登場。
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アンコール曲「メキシコの夢」では、ギルドのアコースティック・ギターも使用。
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オーケストリオンの各楽器は、音を鳴らすと同時に光も放つ。ビジュアル面での演出も忘れていない。


 大トラブルを克服して行われたパット・メセニーのオーケストリオン・ケルン・コンサート。最後は、オーディエンスが総立ちでスタンディング・オヴェーションを送り続けるなか、メセニーも満足げな笑顔を浮かべてステージをあとにした。すでに書いたが、このライヴの詳しい報告はジャズライフ5月号に掲載されている。そのカラー6ページの記事の中には、コンサートの様子の他に、メセニーがこの日に使用した合計8台のギターに関することや、オーケストリオン・プロジェクトのサウンド・ディレクター、デイヴィッド・オークスへのインタヴューも含まれている。ジャズライフのバックナンバーは、ネットでも最寄りの書店でも超カンタンに入手可能なので、メセニー・ファンの方は、ぜひ「パット・メセニー・オーケストリオン・プロジェクトの記念(?)」に、ジャズライフ5月号を購入して、同2月号(こちらには常磐武彦氏がニューヨークで取材したオーケストリオンの記事が掲載されている)とともに永久保存していただきたい。

 さて、ここで、ケルン・コンサートのあとでオークス氏が語ってくれた言葉の中から、ジャズライフの原稿で割愛した部分を紹介しておこう。

筆者:あなたは、オーケストリオン・システムの構築に大変な労力をつぎ込んだというわけですね。
オークス氏:今回に限らず、僕はパットのアイデアを現実のものとするためにつねに努力している。僕は、29年間パットと共に仕事をしてきているので、何を望んでいるのか、彼のひと言を聞いてすぐに理解出来るよ。
筆者:「一を聞いて十を知る」という感じですか?
オークス氏:パットは、自分が望むものをいつもはっきりと把握している。あまり細かい説明を聞かなくてもパットの言いたいことはわかるよ。たとえばパットは、「もっとビッグなサウンドで、リズム楽器の限界を超えるようなものにしたい」とか「5ウェイのステレオ・サウンドがほしい」なんて言い方をする。そのアイデアをどのような方法を用いて実現するか、そんなことパットはまったく気にしない(メセニーは何に対してもオープンである、という意味)。
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David Oakes

オーケストリオン・プロジェクトの衝撃
 こんなとっぴなアイデアを現実のものとし、その複雑なシステムによる大掛かりなショーまでも可能にして実行してしまうパット・メセニーと彼のスタッフの知恵と勇気とパワーには脱帽するしかない。オークス氏は、オーケストリオン・システムの設計およびステージ上のレイアウト、管理、さらにはコンサート会場のPA卓の操作に至るまで、メセニー・サウンドを支える重要な部分をいくつも手がけている。その彼が「オーケストリオンは、まだまだ発展途上のまっただ中にある」と語っていた。あれから3ヶ月。6月に行われる日本公演では、さらなる改良が加えられて安定感を増したオーケストリオンの演奏が披露されることになるだろう。見世物小屋に足を運ぶようなつもりでコンサート会場へ向かう人がいたとしても、そこで待っているものは、まぎれもない究極のメセニー・ミュージック・ワールドである。「見逃さずにすんで良かった!」と思うに違いない。耳で聴いて、目で見て楽しいそのコンサートには、性能の良いオペラグラスを持参することをオススメする。
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あとがき
 この夏、オランダ・ロッテルダムで3日間開催されるノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの初日7月9日に、パット・メセニー・グループ(PMG)が出演する。メンバーは、メセニー以下、ライル・メイズ(p,kb)、スティーヴ・ロドビー(b)、アントニオ・サンチェス(ds)というPMGの核をなす4人だ。これは、「The Song Book Tour」と銘打たれたPMGヨーロッパ・ツアーの一環で、クアルテット編成のPMGが、6月末から約1ヶ月間に渡って、いつものようにほとんど休みなしでヨーロッパ各国を興行する。メセニーが、オーケストリオン・ツアーの直後にこんなスケジュールを持ってきたのは、オーケストリオンに対して嫉妬心を抱いたかもしれないPMGのメンバーを気づかっての事だろうか。一流ミュージシャンとはいえ、みんな人間だ。ちなみに、オーケストリオン・プロジェクトは、ヨーロッパを皮切りにアメリカ~韓国・日本を回る大規模なワールド・ツアーを行い、どこも大盛況。それを受けて今秋も引き続きアメリカ各地でコンサートの予定が組まれている。まだまだオーケストリオンの快進撃が続きそうな気配だが、PMGが今後どのような展開を見せるのか、ファンとしては、そちらも気になるところではあろう。
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メセニーがオーケストリオン・プロジェクトでメインに使用するのは、アイバニーズUSAのPM35のプロトタイプとなったギター。
【追記:PM35は、その後モデル変更があり、2013年現在ではPM200とPM2の2機種が発売されている】

リンク集:
●パット・メセニー Pat Metheny official site
●リンダ・マンザー・ギターズ Linda Manzer Guitars
●スタンザーニ・ソレノイド・ギター Liuteria Stanzani
●パオロ・アンジェリ Paolo Angeli official site
●アイバニーズ・ギター・パット・メセニー・モデル PM120 PM200/PM2
●常磐武彦(写真家/音楽ジャーナリスト) Orchestrion Photo Gallery
●ジャズライフ www.jazzlife.co.jp

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by reijimaruyama | 2010-05-30 23:55 | Musician / Interview

 2009年5月15日。デュッセルドルフから車で東へ40分程走ったところにあるヴッパータール市でジョニー・ウィンターのコンサートが行われ、筆者はそのライヴの前にジョニーにインタヴューした。永遠のブルースマンは、彼のバンドのメンバーやスタッフらと共にバック・ステージ裏に停めてあるキャンピング・バスの中にいた。
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Johnny Winter 取材当日撮影

 この日は、筆者の前にドイツの新聞社(Westdeutshe Zeitung)もジョニーへのインタヴューを行った。車内の後方で自分の番を待つこちらの耳に聞こえてきたのは、「これまでのあなたの音楽キャリアの中でどの時代が一番良かったと思いますか?」という質問。それに答えるジョニーの声はとても小さくて聞き取れない。質問者の声も次第に小さくなり、そのあとにジョニーの短い答え、そして沈黙……、そんなことを数回繰り返しただろうか、「私の質問はこれで全部です」という声が聞こえてそのインタヴューはあっという間に終わった。記者に同行した女性フォトグラファーが無表情のギタリストのポートレートを手早くカメラに収めると、2人はそそくさとバスをあとにした。

 自分の番が来た。「ミスター・ジョン・ドーソン・ウィンター3世、お会いできて光栄です」。そう言いながら右手を差し出すと、ジョニーは、「オー、イエス」と答えて、力は入っていないがとても温かい手を返してくれた。奥行き50センチほどのテーブルを挟んで向き合って座る黒いTシャツ姿のブルースマンの肌はとても白く、細い二の腕にはタトゥーがあり、ほおには毛細血管が紫色ににじみでている。透き通るようなプラチナ・ブロンドの髪の毛が肩の下まで伸びていて眉やまつげも黄金色。右目はほとんどふさいだままで、こちらを見る左目の瞳はちょっとピンクがかった銀灰色。座っているので見た目で背丈を計ることが出来ないが、思っていたよりもとても小さい感じで、第一印象は、かなり年老いた老人のような雰囲気だ。しかし、顔にはしわがなく、その表情には少年のような素朴さもうかがえる。1944年2月23日生まれのジョニー・ウィンター、この時は65歳と2ヶ月である。

 自己紹介のあと、インタヴュー中の会話を録音しても良いかどうかを問うとOKが出たので、バッグからMDレコーダーを取り出してテーブルの上にミニ・マイクを置いた。ジョニーは、バンドのセカンド・ギタリストでツアー・マネージャーも兼任するポール・ネルソンに「きょうは一体いくつインタヴューをやるんだ?」と聞く。ポールは、「10件だよ」と答えて、ジョニーがうんざりした表情を見せると筆者を指差して「でも彼が最後の10人目だ」とジョークを飛ばす。2004年にジョニーが発表した彼の最新(!)アルバム『永遠のブルースマン』(原題:I'm a Bluesman)にも参加してギターを弾いたポールは、もう何年も行動を共にするバンド・リーダーのことを良く理解している様子で、インタヴューの間は、口数の少ない主役の横に座って少しでも会話を盛り上げようと助け舟を出したりもするのだ。テーブルの上のマイクのすぐ前にウィンターの右手がある。彼の指は、音もなく、しかしせわしなくテーブルをタップしている。
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伝説のブルースマンへのインタヴュー Interview with Johnny Winter
――あなたの様子を日本のファンに紹介したいと思ってやって来ました。お時間をいただき感謝いたします。ありがとうございます。
ジョニー・ウィンター(以下JW):君のその言い方、まるで日本人じゃないみたいだ。
――純粋な日本人ですよ。さっそくですが、あなたはまだ日本で演奏した事がありませんね。なぜですか?
JW:その訳を話してもいいのかな……(と、隣に座るポールを見た)。
――本当のことを聞かせてください。
JW:僕はメタドンを使っている。でも、日本でそれは許されていない(メタドンは日本では未販売の医療用合成鎮痛薬)。だから、日本へは、これまで行ったことがないし今後も行くことはないだろう。
【追記:本人のこの言葉とは裏腹に2011年4月に初来日が実現した!】
――60年代後半に“100万ドルのギタリスト”の伝説を一夜にして作り上げ、その後、数多くの素晴らしいアルバムを制作して87年にはグラミー賞も受賞したあなたの影響を多大に受けているギタリストが大勢います。いまご自分のギター人生を振り返ってみてどう思いますか?
JW:自分はとても幸せだ、と感じているよ。
――いま65歳ですが、あと何年ぐらいツアー活動を続けたいと思いますか?
JW:ずっとギターを弾き続けるつもりでいる。健康でいる間は、出来る限り長くね。
ポール・ネルソン(以下PN):ジョニーは、最近も素晴らしいショーをいくつもやったんだ。エリック・クラプトンのクロスロード・フェスティヴァルに出演したり、オールマン・ブラザーズのアニヴァーサリー・コンサート(オールマンズのバンド結成40周年記念ライヴ)でも演奏したんだよ。
――それは素晴らしいですね。ところで、あなたは子どもの頃クラリネットを吹いていたそうですが、なんでも歯の噛み合わせの問題であきらめたとか。
JW:そう、僕の歯はクラリネット向きじゃなかったんだ(笑)。でもそれは僕にとってすごくラッキーなことだった。今ではクラリネット奏者にならなくて本当に良かったと心から思っている。ギターを弾くことができてとてもハッピーだよ。

ブルースの魅力 B.B.キングとの出会い
――ギターを弾きはじめた頃は、ブルースのどんなところに惹かれたんですか?
JW:理屈なしにブルースが好きだった。ブルースはとてもエモーショナルな音楽だ。
――あなたは黒人のコミュニティーに本当の意味で溶け込んだ最初の白人ミュージシャンと言われていますね。
JW:ああ、それは本当のことだよ。
――溶け込むのに苦労したり、その課程で嫌な思いをしたことなどはありませんでしたか。
JW:いや、そんなことはまったくなかった。
――むしろ居心地が良かったですか?
JW:そう、黒人の社会が大好きだったんだ。
PN:ジョニー、ブラック・クラブでB.B.キングと出会った時の話をしてあげたら?
JW:その話はもうみんな知ってるよ。
PN:いや、日本では知らない人もまだたくさんいるんじゃないかな。
――(実は、筆者は知っていたが)そうですね。ぜひお聞かせください。
JW:(テキサス州の)ボーモントにあるレイヴンという黒人のクラブにBBを観に行ったんだ。僕は17歳ぐらいだった(1961年頃)。そこで僕はBBに「飛び入りさせてください。ギターを弾かせてくれませんか」って聞いた。すると彼はユニオン・カード(米国でプロのステージに立つことが許される会員証)を見せろと言う。僕はそのときすでに持っていたのでそれを見せると、今度は「でもオレの曲のアレンジを知らないだろう?」ときた。「あなたのレコードは全部持っています。入っている曲のアレンジもすべて知っています」と答えると、彼は根負けしたみたいで僕に飛び入りを許してくれた。素晴らしかったよ。その時、僕は観客のスタンディング・オヴェイションを受けたんだ。
――自分のギターをちゃんと準備して持って行ったんですね。
JW:いや、持ってなかった。彼のギターを弾いたんだ。
――えっ!?
PN:ジョニーは、B.B.キングのギターを弾いたのさ(笑)。
――B.B.キングの愛器“ルシール”を弾いたんですか!?
JW:そうだ。
――これは初耳です。すごいですね。B.B.キングはとても親切な人ですね。
JW:本当に親切だ。あの時、彼には断ることだって出来た。僕とはそれまでに1度も会ったことがなかったんだから。
――そのあとBBの彼女ともダンスしたんですか?
車中の全員:わっはっはっ(大爆笑)。
JW:いや、それはなかったよ。ハハハ(笑)。

ブルースを、そして僕のプレイを聴き続けてくれ
――何年か前にボニー・レイットがオランダのジャズ祭に出演した時、「私の音楽はジャズではないけど、ジャズとブルースは同じルーツを持つもの」と彼女は言いました。あなたはジャズとブルースの関係についてどう思いますか。
JW:ジャズは好きじゃないんだ。
――あなたの好きなブルースとは関係のない音楽でしょうか?
JW:(ブルースとの)つながりは間違いなくあるよ。僕は、ただ単にジャズが嫌いなだけだ。
――あなたの最新アルバム(先述)には、まさにあなたにぴったりのタイトルが付けられていますね。これは「今後もブルースだけを演奏し続ける」という意思表示のようなものですか。
JW:そう、まったくその通りだ。
――ブルースに飽きるなんて一生あり得ないことですか。
JW:絶対にないよ。ハハハ(笑)。
――それでは最後に、あなたの生のステージを観ることのできない日本のファンに何かメッセージをいただけますか。
JW:ブルースを聴き続けてくれ。僕のプレイを聴き続けてくれ。それだけだ。
――どうもありがとうございました。
JW:どういたしまして。
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ドラマー、ヴィト・リウッツィの話
 ジョニーとのインタヴューを終えてバスを降りると、この日のサポート・アクトを務める地元ヴッパータール出身のブルース・ギタリスト、ヘンリク・フライシュラダー(Henrik Freischlader)が、ハモンド・オルガンも加えた自身のバンドによる農厚なロック・ブルースをホール内で響かせていた。筆者は、そのステージ裏で出番を待つジョニーのバンドのドラマー、ヴィト・リウッツィにも話を聞いた。ジョニーがいまでもファンの前でギターをプレイし続けているのは素晴らしいことだとヴィトに言うと、それを受けて彼はこう語ってくれた。「実は最近、ジョニーは、“引退したい”ってB.B.キングに言ったらしい。でもBBはジョニーに発破をかけた。“オマエはまだ65歳の若造だ。オレが65の時には年間200本のライヴをこなしていた。いまだってツアーに出ていろんなところで演奏している。オレより20も年下のオマエが引退だなんてとんでもない。弱音を吐くな!”って。その言葉に触発されたのか、次の日、ジョニーは、“ツアーに出るぞ! すぐにツアーをブッキングしろ!”ってマネージャーに言ったんだよ(笑)」。BBは、いまでもジョニーに活力を与え続けているらしい。また、ジョニーは、弟のエドガー・ウィンターとの共演ライヴもたまにやるそうだ。「その時は、まずエドガーのバンドが演奏し、次に僕ら(ジョニー・ウィンター&バンド)がプレイして、そのステージの後半にエドガーが加わるのさ」。これはチャンスがあればぜひ観てみたいものだ。

ジョニー・ウィンター&バンド LIVE in Germany!
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ステージに上がる直前にカメラに向かってくれたジョニーのバックの3人。左からヴィト・リウッツィ(ds)、スコット・スプレイ(b)、ポール・ネルソン(g)
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 キャパ500人くらいのオール・スタンディングのそのクラブは、10歳ぐらいの子どもや若い男女、そして中年~壮年までの幅広い年齢層のファンが詰めかけて満員、ソールド・アウトだった。サポートのライヴが終了し、メイン・アクトの機材がセットアップされた舞台の中央手前にはイスが置かれている。B.B.キングと同じように、ジョニーもイスに腰掛けて演奏するのだ。会場のあちらこちらから拍手や口笛に混じって「ジョニー!」のコールが飛び交う。開演予定時刻の夜10時を少し過ぎたころ、バンドのメンバー3人がアップテンポのシャッフル・ブルースをプレイする中、ジョニーがギター・テックの左肩に自分の右手をかけながら慎重な足取りでステージ横の控え室に入った。そこで髪とハットを整えてからオーディエンスの前に登場、椅子に腰掛けて白いレイザー・ギターをテックから受け取り、素晴らしい勢いでプレイしはじめた。一聴しただけでジョニー・ウィンターと分かるそのエネルギー溢れるブルース・プレイは、レコードで聴いていた全盛期70年代の演奏と比べても遜色はない。声も張りがあって良く出ている。会場内の最前列の観客は、そのジョニーのプレイを目と鼻の先の至近距離で堪能している。低い舞台のため、後ろの方にいるオーディエンスにはジョニーのハットがわずかに見える程度だ。ジョニーは、上体をほとんど動かさないで目もあまり開かずにギターを弾きながら歌う。曲が終わると、時々ペット・ボトルの水を口に含み、おもむろにマイクを通して次の曲名を言ってカウントを出し、黙々とプレイして行く。この日、約90分のステージでワン・アンド・オンリーの歌とギターの演奏をたっぷりと観せてくれた永遠のブルース・マンは、最後の2曲でトレードマークの茶色のファイアーバードに持ち替えてスライド・プレイも披露した。
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ライヴ終了後にヴィトが書いてくれたこの日のセット・リスト(下)
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ジョニーの使用機材
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ジョニーは、ヘッドレスで小振りのボディをもつレイザー・ギターをメインに使用している。本人曰く、「レイザーの魅力は、サウンドが良くてとても弾きやすいこと。小さいから持ち運びもラクなんだ」。
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70年代にメイン・ギターとして愛用していたギブソンのファイアーバードは、現在はスライド・プレイ専用で使っている。リアとフロントPUの間のボディ表面が長年の使用によるピッキングで削られていた。また、ドブロも弾くがこれはツアーに持ちだすことはなくスタジオでのみ使用するとのこと。
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ライヴ中はブルーのヘフナーのギターが楽屋に置かれていた。レイザーがトラブった時に備えてのサブと思われる。
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ジョニーのエフェクターは、ボスのコーラス(水色のもの)1個だけ。写真手前に見えるエフェクター・ボードはセカンド・ギタリスト、ポールのもの。また、ジョニーのギター・アンプは、ミュージックマンのフォー・テン(410HD)。
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ジョニーと同じ金髪のファンが最前列でじっと見つめる。

 ジョニー・ウィンターの生のライヴをひと目観てみたい、ぜひ日本でコンサートをやってほしい、という熱烈なファンが日本には大勢いるに違いない。ジョニーが年をとり、ひとりでは歩行もままならない状態のいま、その思いはさらに強いものになっているかもしれない。だが、残念ながらインタヴューで本人が断言した通り、今後も彼のライヴが日本で行われることはないだろう。過去にヘロイン中毒などの重度のドラック問題を抱え、その修羅場をくぐり抜けてきたギター・ヒーローにとって、医師が処方する合成鎮痛薬の服用を避けることができない状態で、その薬剤に対する法律が異なる国でギターを弾くのは現実的ではないのだ。

 アルビノ=先天性白皮症のジョニーにとって、光はとても眩しいらしい。ステージでハットをかぶるのは、格好付けではなくて強烈なライトの光を遮るためでもあるようだ。視力もかなり弱いらしい。ジョニーと同じアルビノ体質で世界的に名前が知られるミュージシャンと言えば、まず最初に彼の弟エドガーが思い出されるが、その他にも西アフリカ・マリ出身のシンガー、サリフ・ケイタやジャマイカ・キングストン出身のレゲエDJ、イエローマンなどがいる。ある古い書物には古代の大洪水から生き物を救ったあの救世主ノアもアルビノだったという記述も残っているらしい。その真偽のほどは誰にも分からないが、真っ白な男(不思議なことに話に出るのはみな男性)は、何か特別な才能・能力を持っているのかもしれない。
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【追記:インタヴューの文中にも追記したが、ジョニー・ウィンターは2011年4月に初来日を果たして東京で公演を行い日本のファンに元気な姿を見せてくれた。「やはり」と言うべきか、ジョニーの日本でのライヴを観た人の話では、会場に集まったファンの年齢層は高めだったようだ。】

【訃報:2014年7月16日、ヨーロッパ・ツアー中にスイス・チューリヒのホテルで死去、70歳。ご冥福をお祈り致します。】

日本のジョニー・ウィンター・ファンサイトによる来日公演レポート >>
Johnny Winter Official Site ジョニー・ウィンター公式サイト >>
Johnny Winter Official MySpace Site ジョニー・ウィンターのマイスペース >>

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by reijimaruyama | 2009-10-20 08:26 | Musician / Interview

 ドイツ中西部のライン川沿いにある小都市レヴァークーセンは、ゴシック式の大聖堂(Dom)で有名な文化都市ケルンから北に車で15分たらず、日本人駐在員の数が多いことでも知られる商業都市デュッセルドルフからは南へ車で20分ほどのところにある。この街で毎年11月に開催されるLeverkusener Jazztage(レヴァークーゼナー・ジャズターゲ)は、老練のベルリン・ジャズや北ドイツのジャズ・バルティカなどと共に、ドイツ国内では“指折りのジャズ祭”のひとつとして音楽ファンの間で定着しているジャズ・フェスティヴァルである。
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Leverkusener Jazztage 2008
November 01 - 09 2008 Leverkusen, Germany


 第29回目を迎えた2008年のJazztageは、11月1日から9日までレヴァークーセン市内にあるコンサート・ホールやクラブなど、合計7つの場所で48アーティストのライヴが行われた。中でもメイン会場となったホール“フォーラム”で組まれていたプログラムが注目の的で、目玉は、何といっても6日目(11月6日)に出演したチック・コリア(p,kb)とジョン・マクラフリン(g)の双頭ユニット“ファイヴ・ピース・バンド”だった。バンドのメンバーは他に、ケニー・ギャレット(as)、クリスチャン・マクブライド(b)、ヴィニー・カリウタ(ds)という強者ミュージシャンで固められている。この顔ぶれを見ただけで、そのステージがどのようなものであったか、フュージョン・ファンならすぐに察しはつくだろう。このライヴの様子とレヴァークーセン・ジャズ祭リポートは、ジャズライフの2009年1月号で詳しく報告した。また、“ファイヴ・ピース・バンド”は、欧州各国22都市を回ったその2008年ヨーロッパ・ツアーの模様を2枚組のライヴ・アルバムにして翌2009年2月に発表し、ジャズライフ3月号ではそのアルバムをフィーチャーした特集記事が組まれた(これらの記事の一部を見る)。さらにバンドは、ライヴ盤のリリースに合わせて同2月に来日。ブルーノート東京で行われたそのライヴでは、ヴィニー・カリウタに代わってブライアン・ブレイドがドラムを叩いている。
 さて、ここでは2008年のジャズ祭3日目(ロックパラスト・ギター・スペシャル)に出演したドミニク・ミラー、エイドリアン・ブリュー、リヴィング・カラーのライヴを、ジャズライフの誌面に収めることができなかった写真と共に紹介してみたい。

“Rockpalast Guitar Special”とタイトルがつけられた3日目のプログラム
トップ・バッターはスティングのギタリスト

 この日は、ギター・ファン向けの3本立てライヴが行われた。まずは、スティングの“右腕ギタリスト”として、これまで20年近くに渡ってアルバムとライヴの両方からスティングのサウンドを支えてきたドミニク・ミラー(g)が自己のグループで登場。ドミニクは、ニコラス・フィースマン(b,g)とラニ・クリヤ(perc)、それにレベル44のメンバーでもあるマイク・リンドアップ(p)の4人編成で、ドミニクのソロ1作目『ファースト・タッチ』(96年)の収録曲を中心に、これまでに4枚出している自身のアルバムの曲や、スティングがドミニクの曲にフランス語の歌詞を付けて歌った「悔いなき美女」(スティングの96年のアルバム『マーキュリー・フォーリング』に収録した曲)のインスト・ヴァージョンなどを披露。ナイロン弦のアコースティック・ギターによる美しいサウンドと楽曲でオーディエンスを魅了した。
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Dominic Miller

Adrian Belew Power Trio
 2番手は、エイドリアン・ブリュー(g,vo)・パワー・トリオ。エイドリアン・ブリューは、70年代後半にロック界の大奇才フランク・ザッパに見いだされて世界デビューした後、デヴィッド・ボウイ(vo)のバンドやトーキング・ヘッズ、トム・トム・クラブ、ベアーズなどで活動。82年にキング・クリムゾンに参加し、現在に至るまでクリムゾンの中心人物ロバート・フリップ(g)に次ぐ重要メンバーとして活躍。1982年にソロ1作目『ローン・ライノウ』を発表して以来、これまで多岐にわたる音楽スタイルによるリーダー・アルバムも数多くリリースしている。
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Adrian Belew
 そのライヴは、バンド名が示す通りにエネルギッシュなステージ。しょっぱなからパワー全開の演奏を観せるブリュー。昔から“象の声”などのカラフルかつ奇妙なサウンドをギターで生み出すのを得意としていたが、このライヴでもループ・マシンやディレイ、エコー、フランジャーなど、いくつものエフェクトを駆使した得意技をたっぷりと披露。それを支えるバックのリズム隊2人は若い姉弟で、ベースの姉(ジュリー・スリック)は現在22歳、ドラムの弟(エリック・スリック)は21歳。ジュリーは、終始クールな表情で時々粋なアクションも観せながらキッチリとボトムを支え、エリックは、ブリューも思わず笑みをこぼすほど“イケイケ感”抜群の元気なドラミングで、主役ブリューのギター・プレイと共にこのトリオの見どころだった。

はだしのジュリー
 このライヴ終了後に行ったエイドリアン・ブリューのインタヴューもジャズライフ1月号に掲載されているが、当初その原稿の中に入れようと考えていながら、ひとつだけ書かなかったことがある。それは、ベースのジュリー嬢がステージの上で“はだしでプレイしていた”こと。その理由を終演後の彼女に聞いた。「2年前に行ったエイドリアンとの初ライヴで、かかとのついた靴を履いていたらコンサートの途中で片方のヒールが壊れて飛んじゃった(笑)。それでしかたなくはだしになってステージを続けたんだけど、それを見たエイドリアンがとても気に入ったの。だからそれ以来ステージではいつもはだしなのよ」。
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Julie Slick
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Eric Slick

Living Colour
 この日のラストは、80年代後半のメタル全盛時代に“黒人ヘビメタ・バンド”として注目されて人気を博した4人組、リヴィング・カラー。バンドの中心人物、ギタリストのヴァーノン・リードは、ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)のコンボへの参加やビル・フリゼール(g)と制作したアヴァンギャルドなアルバム『Smash & Scatteration』(84年)などが証明する通り、ジャズ畑でも立派に通用する実力の持ち主。リードは、ローランドVG-99(ギター・モデリング・システム)やコンピュータも駆使したぶ厚いギター・サウンドによるスピード・プレイを観せながら、ペダル・エフェクターを多用するベースのダグ・ウィンビッシュと共に、まさに生きた色彩のヘヴィなサウンドを作り出す。そして、そこにウィル・カルホーンのタイトなドラム・グルーヴが絡み、コーレイ・グローヴァーがシャウト。迫力と緊張感に満ちたスリル満点の演奏を展開した。今回のツアー中に書いたという新曲も披露したこの日のステージでは、結成から20年以上の時を経てもバンド内の創作力が落ちていないことを実証して見せてくれた。
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Doug Wimbish(b) & Corey Glover(vo)
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Will Calhoun(ds)
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Vernon Reid(g)
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 最後に、会場内にあったケルシュ(ビール)売り場。ドイツには地域ごとに実に数多くの種類のビールが存在する。その中でも全国的に人気のあるピルスは、見た目が黄金色に透き通り味もさっぱりとキレの良い苦みで日本のビールに似た感じ。ケルシュ(地元の人は“ケルチ”と発音する。少なくとも筆者の耳にはそう聞こえる)は、見た目はピルスに似ているが、ピルスよりもさらにのどごしが良くて飲みやすいケルンの地ビール。酒が苦手の筆者でも0.2ℓの細長いグラスで2杯ぐらいはイケる。

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by ReijiMaruyama | 2008-12-21 19:00 | Jazz Festival

 「何でもあり」。フュージンスキーのギター・スタイルを一言でいえばそんな感じか。彼のプレイについては、“変態”などと形容されたりすることもあるが、これはあまりにも安易な表現だ。通常のギタリストとは異なるフューズの大胆で繊細な演奏スタイルは、変態的でも偏執狂的でもない、いわば“実験的”であり“知的”である。そして、さらにそれが単なる“頭でっかち”ではなくて、豊かな感性とインスピレーションに溢れているのだ。
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David "Fuze" Fiuczynski

“フューズ”が語る自らの作曲とアレンジの方法
 フレットレス&フレッテッドのダブルネック・ギターを使った不可思議サウンドを連発するフュージンスキー。その腕を買われて、昨年から上原ひろみ(p)のバンド・プロジェクト(SONICBLOOM)にも参加している。写真は、フュージンスキーが自己のバンド、スクリーミング・ヘッドレス・トーソス(SHT)を引き連れて2001年3月12日にケルンでライヴを行ったときのショット。フュージンスキーにはこれまでに何度かインタヴューにつき合ってもらい、その記事はいずれもジャズライフに掲載されたが、はじめて会った時(2000年4月25日)に曲作りやアレンジについて尋ねたときの彼の答えは次のようなものだった。

 「作曲はギターですることが多い。自分の作曲方法について考えてみると、僕は、コンポーザ-というよりも音楽の狩人であり収集家だね。膨大な量の”音のカタログ”を持っているんだよ。たとえば、ロナルド・シャノン・ジャクソンやジョ-・ザヴィヌル(kb)のメロディ、ビリ-・ハート(ds)、ジャック・ウォルラスやマハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン(g)のハーモニー、ファンクやロック、ハウス、スカ、レゲエ、ヒップホップ、ドラムンベースやテクノ、R&Bのリズムなど、面白いと思ったものは何でもキープしてある。曲作りは、それら音楽要素のひとつからスタートすることもあるし、最初に曲のフォームを決めてしまうこともある。すでにある曲の形式を取り入れてグルーヴを変えてみたり、材料を重ね合わせてサンドイッチにしたりという具合にね。
 曲をアレンジする時には、何か新しい特別な事をやろうなんて思わない。SHTの1枚目(『スクリーミング・ヘッドレス・トーソス』)で、マイルス・デイヴィス(tp)の「ブルー・イン・グリーン」をレゲエ&ロックの曲に書き変えた。スティーヴン・キングの『ヴァンパイア』という小説にインスパイアされた歌詞には、聖書の1節から抜き出した言葉も組み込んである。同様に、ハウス・ビートを使った「Cult Of The Internal Sun」(作詞作曲はフュ-ジンスキー)は、7/4・8/4・8/4・7/4という変則リズムと型にはまらないマイナー・コードの動きが重なり、どこかで聴いたことがあるようだけど、ちょっと変わった仕上がり。そういうことが単純に好きなんだ。 まったく異なる要素がうまく反応しあった時にすばらしい結果が生まれるのさ」。

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by ReijiMaruyama | 2008-03-16 02:36 | Musician / Interview