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第19回:永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター

 2009年5月15日。デュッセルドルフから車で東へ40分程走ったところにあるヴッパータール市でジョニー・ウィンターのコンサートが行われ、筆者はそのライヴの前にジョニーにインタヴューした。永遠のブルースマンは、彼のバンドのメンバーやスタッフらと共にバック・ステージ裏に停めてあるキャンピング・バスの中にいた。
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Johnny Winter 取材当日撮影

 この日は、筆者の前にドイツの新聞社(Westdeutshe Zeitung)もジョニーへのインタヴューを行った。車内の後方で自分の番を待つこちらの耳に聞こえてきたのは、「これまでのあなたの音楽キャリアの中でどの時代が一番良かったと思いますか?」という質問。それに答えるジョニーの声はとても小さくて聞き取れない。質問者の声も次第に小さくなり、そのあとにジョニーの短い答え、そして沈黙……、そんなことを数回繰り返しただろうか、「私の質問はこれで全部です」という声が聞こえてそのインタヴューはあっという間に終わった。記者に同行した女性フォトグラファーが無表情のギタリストのポートレートを手早くカメラに収めると、2人はそそくさとバスをあとにした。

 自分の番が来た。「ミスター・ジョン・ドーソン・ウィンター3世、お会いできて光栄です」。そう言いながら右手を差し出すと、ジョニーは、「オー、イエス」と答えて、力は入っていないがとても温かい手を返してくれた。奥行き50センチほどのテーブルを挟んで向き合って座る黒いTシャツ姿のブルースマンの肌はとても白く、細い二の腕にはタトゥーがあり、ほおには毛細血管が紫色ににじみでている。透き通るようなプラチナ・ブロンドの髪の毛が肩の下まで伸びていて眉やまつげも黄金色。右目はほとんどふさいだままで、こちらを見る左目の瞳はちょっとピンクがかった銀灰色。座っているので見た目で背丈を計ることが出来ないが、思っていたよりもとても小さい感じで、第一印象は、かなり年老いた老人のような雰囲気だ。しかし、顔にはしわがなく、その表情には少年のような素朴さもうかがえる。1944年2月23日生まれのジョニー・ウィンター、この時は65歳と2ヶ月である。

 自己紹介のあと、インタヴュー中の会話を録音しても良いかどうかを問うとOKが出たので、バッグからMDレコーダーを取り出してテーブルの上にミニ・マイクを置いた。ジョニーは、バンドのセカンド・ギタリストでツアー・マネージャーも兼任するポール・ネルソンに「きょうは一体いくつインタヴューをやるんだ?」と聞く。ポールは、「10件だよ」と答えて、ジョニーがうんざりした表情を見せると筆者を指差して「でも彼が最後の10人目だ」とジョークを飛ばす。2004年にジョニーが発表した彼の最新(!)アルバム『永遠のブルースマン』(原題:I'm a Bluesman)にも参加してギターを弾いたポールは、もう何年も行動を共にするバンド・リーダーのことを良く理解している様子で、インタヴューの間は、口数の少ない主役の横に座って少しでも会話を盛り上げようと助け舟を出したりもするのだ。テーブルの上のマイクのすぐ前にウィンターの右手がある。彼の指は、音もなく、しかしせわしなくテーブルをタップしている。
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伝説のブルースマンへのインタヴュー Interview with Johnny Winter
――あなたの様子を日本のファンに紹介したいと思ってやって来ました。お時間をいただき感謝いたします。ありがとうございます。
ジョニー・ウィンター(以下JW):君のその言い方、まるで日本人じゃないみたいだ。
――純粋な日本人ですよ。さっそくですが、あなたはまだ日本で演奏した事がありませんね。なぜですか?
JW:その訳を話してもいいのかな……(と、隣に座るポールを見た)。
――本当のことを聞かせてください。
JW:僕はメタドンを使っている。でも、日本でそれは許されていない(メタドンは日本では未販売の医療用合成鎮痛薬)。だから、日本へは、これまで行ったことがないし今後も行くことはないだろう。
【追記:本人のこの言葉とは裏腹に2011年4月に初来日が実現した!】
――60年代後半に“100万ドルのギタリスト”の伝説を一夜にして作り上げ、その後、数多くの素晴らしいアルバムを制作して87年にはグラミー賞も受賞したあなたの影響を多大に受けているギタリストが大勢います。いまご自分のギター人生を振り返ってみてどう思いますか?
JW:自分はとても幸せだ、と感じているよ。
――いま65歳ですが、あと何年ぐらいツアー活動を続けたいと思いますか?
JW:ずっとギターを弾き続けるつもりでいる。健康でいる間は、出来る限り長くね。
ポール・ネルソン(以下PN):ジョニーは、最近も素晴らしいショーをいくつもやったんだ。エリック・クラプトンのクロスロード・フェスティヴァルに出演したり、オールマン・ブラザーズのアニヴァーサリー・コンサート(オールマンズのバンド結成40周年記念ライヴ)でも演奏したんだよ。
――それは素晴らしいですね。ところで、あなたは子どもの頃クラリネットを吹いていたそうですが、なんでも歯の噛み合わせの問題であきらめたとか。
JW:そう、僕の歯はクラリネット向きじゃなかったんだ(笑)。でもそれは僕にとってすごくラッキーなことだった。今ではクラリネット奏者にならなくて本当に良かったと心から思っている。ギターを弾くことができてとてもハッピーだよ。

ブルースの魅力 B.B.キングとの出会い
――ギターを弾きはじめた頃は、ブルースのどんなところに惹かれたんですか?
JW:理屈なしにブルースが好きだった。ブルースはとてもエモーショナルな音楽だ。
――あなたは黒人のコミュニティーに本当の意味で溶け込んだ最初の白人ミュージシャンと言われていますね。
JW:ああ、それは本当のことだよ。
――溶け込むのに苦労したり、その課程で嫌な思いをしたことなどはありませんでしたか。
JW:いや、そんなことはまったくなかった。
――むしろ居心地が良かったですか?
JW:そう、黒人の社会が大好きだったんだ。
PN:ジョニー、ブラック・クラブでB.B.キングと出会った時の話をしてあげたら?
JW:その話はもうみんな知ってるよ。
PN:いや、日本では知らない人もまだたくさんいるんじゃないかな。
――(実は、筆者は知っていたが)そうですね。ぜひお聞かせください。
JW:(テキサス州の)ボーモントにあるレイヴンという黒人のクラブにBBを観に行ったんだ。僕は17歳ぐらいだった(1961年頃)。そこで僕はBBに「飛び入りさせてください。ギターを弾かせてくれませんか」って聞いた。すると彼はユニオン・カード(米国でプロのステージに立つことが許される会員証)を見せろと言う。僕はそのときすでに持っていたのでそれを見せると、今度は「でもオレの曲のアレンジを知らないだろう?」ときた。「あなたのレコードは全部持っています。入っている曲のアレンジもすべて知っています」と答えると、彼は根負けしたみたいで僕に飛び入りを許してくれた。素晴らしかったよ。その時、僕は観客のスタンディング・オヴェイションを受けたんだ。
――自分のギターをちゃんと準備して持って行ったんですね。
JW:いや、持ってなかった。彼のギターを弾いたんだ。
――えっ!?
PN:ジョニーは、B.B.キングのギターを弾いたのさ(笑)。
――B.B.キングの愛器“ルシール”を弾いたんですか!?
JW:そうだ。
――これは初耳です。すごいですね。B.B.キングはとても親切な人ですね。
JW:本当に親切だ。あの時、彼には断ることだって出来た。僕とはそれまでに1度も会ったことがなかったんだから。
――そのあとBBの彼女ともダンスしたんですか?
車中の全員:わっはっはっ(大爆笑)。
JW:いや、それはなかったよ。ハハハ(笑)。

ブルースを、そして僕のプレイを聴き続けてくれ
――何年か前にボニー・レイットがオランダのジャズ祭に出演した時、「私の音楽はジャズではないけど、ジャズとブルースは同じルーツを持つもの」と彼女は言いました。あなたはジャズとブルースの関係についてどう思いますか。
JW:ジャズは好きじゃないんだ。
――あなたの好きなブルースとは関係のない音楽でしょうか?
JW:(ブルースとの)つながりは間違いなくあるよ。僕は、ただ単にジャズが嫌いなだけだ。
――あなたの最新アルバム(先述)には、まさにあなたにぴったりのタイトルが付けられていますね。これは「今後もブルースだけを演奏し続ける」という意思表示のようなものですか。
JW:そう、まったくその通りだ。
――ブルースに飽きるなんて一生あり得ないことですか。
JW:絶対にないよ。ハハハ(笑)。
――それでは最後に、あなたの生のステージを観ることのできない日本のファンに何かメッセージをいただけますか。
JW:ブルースを聴き続けてくれ。僕のプレイを聴き続けてくれ。それだけだ。
――どうもありがとうございました。
JW:どういたしまして。
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ドラマー、ヴィト・リウッツィの話
 ジョニーとのインタヴューを終えてバスを降りると、この日のサポート・アクトを務める地元ヴッパータール出身のブルース・ギタリスト、ヘンリク・フライシュラダー(Henrik Freischlader)が、ハモンド・オルガンも加えた自身のバンドによる農厚なロック・ブルースをホール内で響かせていた。筆者は、そのステージ裏で出番を待つジョニーのバンドのドラマー、ヴィト・リウッツィにも話を聞いた。ジョニーがいまでもファンの前でギターをプレイし続けているのは素晴らしいことだとヴィトに言うと、それを受けて彼はこう語ってくれた。「実は最近、ジョニーは、“引退したい”ってB.B.キングに言ったらしい。でもBBはジョニーに発破をかけた。“オマエはまだ65歳の若造だ。オレが65の時には年間200本のライヴをこなしていた。いまだってツアーに出ていろんなところで演奏している。オレより20も年下のオマエが引退だなんてとんでもない。弱音を吐くな!”って。その言葉に触発されたのか、次の日、ジョニーは、“ツアーに出るぞ! すぐにツアーをブッキングしろ!”ってマネージャーに言ったんだよ(笑)」。BBは、いまでもジョニーに活力を与え続けているらしい。また、ジョニーは、弟のエドガー・ウィンターとの共演ライヴもたまにやるそうだ。「その時は、まずエドガーのバンドが演奏し、次に僕ら(ジョニー・ウィンター&バンド)がプレイして、そのステージの後半にエドガーが加わるのさ」。これはチャンスがあればぜひ観てみたいものだ。

ジョニー・ウィンター&バンド LIVE in Germany!
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ステージに上がる直前にカメラに向かってくれたジョニーのバックの3人。左からヴィト・リウッツィ(ds)、スコット・スプレイ(b)、ポール・ネルソン(g)
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 キャパ500人くらいのオール・スタンディングのそのクラブは、10歳ぐらいの子どもや若い男女、そして中年~壮年までの幅広い年齢層のファンが詰めかけて満員、ソールド・アウトだった。サポートのライヴが終了し、メイン・アクトの機材がセットアップされた舞台の中央手前にはイスが置かれている。B.B.キングと同じように、ジョニーもイスに腰掛けて演奏するのだ。会場のあちらこちらから拍手や口笛に混じって「ジョニー!」のコールが飛び交う。開演予定時刻の夜10時を少し過ぎたころ、バンドのメンバー3人がアップテンポのシャッフル・ブルースをプレイする中、ジョニーがギター・テックの左肩に自分の右手をかけながら慎重な足取りでステージ横の控え室に入った。そこで髪とハットを整えてからオーディエンスの前に登場、椅子に腰掛けて白いレイザー・ギターをテックから受け取り、素晴らしい勢いでプレイしはじめた。一聴しただけでジョニー・ウィンターと分かるそのエネルギー溢れるブルース・プレイは、レコードで聴いていた全盛期70年代の演奏と比べても遜色はない。声も張りがあって良く出ている。会場内の最前列の観客は、そのジョニーのプレイを目と鼻の先の至近距離で堪能している。低い舞台のため、後ろの方にいるオーディエンスにはジョニーのハットがわずかに見える程度だ。ジョニーは、上体をほとんど動かさないで目もあまり開かずにギターを弾きながら歌う。曲が終わると、時々ペット・ボトルの水を口に含み、おもむろにマイクを通して次の曲名を言ってカウントを出し、黙々とプレイして行く。この日、約90分のステージでワン・アンド・オンリーの歌とギターの演奏をたっぷりと観せてくれた永遠のブルース・マンは、最後の2曲でトレードマークの茶色のファイアーバードに持ち替えてスライド・プレイも披露した。
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ライヴ終了後にヴィトが書いてくれたこの日のセット・リスト(下)
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ジョニーの使用機材
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ジョニーは、ヘッドレスで小振りのボディをもつレイザー・ギターをメインに使用している。本人曰く、「レイザーの魅力は、サウンドが良くてとても弾きやすいこと。小さいから持ち運びもラクなんだ」。
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70年代にメイン・ギターとして愛用していたギブソンのファイアーバードは、現在はスライド・プレイ専用で使っている。リアとフロントPUの間のボディ表面が長年の使用によるピッキングで削られていた。また、ドブロも弾くがこれはツアーに持ちだすことはなくスタジオでのみ使用するとのこと。
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ライヴ中はブルーのヘフナーのギターが楽屋に置かれていた。レイザーがトラブった時に備えてのサブと思われる。
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ジョニーのエフェクターは、ボスのコーラス(水色のもの)1個だけ。写真手前に見えるエフェクター・ボードはセカンド・ギタリスト、ポールのもの。また、ジョニーのギター・アンプは、ミュージックマンのフォー・テン(410HD)。
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ジョニーと同じ金髪のファンが最前列でじっと見つめる。

 ジョニー・ウィンターの生のライヴをひと目観てみたい、ぜひ日本でコンサートをやってほしい、という熱烈なファンが日本には大勢いるに違いない。ジョニーが年をとり、ひとりでは歩行もままならない状態のいま、その思いはさらに強いものになっているかもしれない。だが、残念ながらインタヴューで本人が断言した通り、今後も彼のライヴが日本で行われることはないだろう。過去にヘロイン中毒などの重度のドラック問題を抱え、その修羅場をくぐり抜けてきたギター・ヒーローにとって、医師が処方する合成鎮痛薬の服用を避けることができない状態で、その薬剤に対する法律が異なる国でギターを弾くのは現実的ではないのだ。

 アルビノ=先天性白皮症のジョニーにとって、光はとても眩しいらしい。ステージでハットをかぶるのは、格好付けではなくて強烈なライトの光を遮るためでもあるようだ。視力もかなり弱いらしい。ジョニーと同じアルビノ体質で世界的に名前が知られるミュージシャンと言えば、まず最初に彼の弟エドガーが思い出されるが、その他にも西アフリカ・マリ出身のシンガー、サリフ・ケイタやジャマイカ・キングストン出身のレゲエDJ、イエローマンなどがいる。ある古い書物には古代の大洪水から生き物を救ったあの救世主ノアもアルビノだったという記述も残っているらしい。その真偽のほどは誰にも分からないが、真っ白な男(不思議なことに話に出るのはみな男性)は、何か特別な才能・能力を持っているのかもしれない。
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【追記:インタヴューの文中にも追記したが、ジョニー・ウィンターは2011年4月に初来日を果たして東京で公演を行い日本のファンに元気な姿を見せてくれた。「やはり」と言うべきか、ジョニーの日本でのライヴを観た人の話では、会場に集まったファンの年齢層は高めだったようだ。】

【訃報:2014年7月16日、ヨーロッパ・ツアー中にスイス・チューリヒのホテルで死去、70歳。ご冥福をお祈り致します。】

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by reijimaruyama | 2009-10-20 08:26 | Musician / Interview