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第17回:ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ〜生活編

 とにかく暑い。それにすごい砂ぼこり。のどはカラカラで体中のいたるところから汗がダラダラと流れ出てくる。ブルキナファソは、西アフリカの内陸部にある共和制の国。南部は、コートジボアール、ガーナ、トーゴ、ベナンという海に面した4つの国と国境を隔て、北部は、準砂漠地帯(サヘル地帯)のマリとニジェールの2カ国に接している。日本の国土の4分の3ほどの広さを有するこの国は、北へ行くほど乾燥の度合いが増す。雨期と乾期がはっきりと別れており、6月から9月までの間に大量の雨が降って作物が育ち、それ以外の時期はカラカラに乾燥した日々が続く。1〜2月頃は、砂漠の砂が風で舞い上がることにより昼間でも空が薄曇りのようになって、“満月のような太陽”が照るハルマタンのシーズン。筆者が訪れた3〜4月は年間を通して最も暑い時期だった。公用語はフランス語。ブルキナ国内には、モシ語、ジュラ語など約20の部族語があるが、識字を持つ部族語は6つしかない。国民の多くは古くから現地に伝わるアフリカ旧教を信仰するが、モスレム教が3割程度、キリスト教も1割ほど信者がいる。首都はワガドゥグ。
 ブルキナファソの音楽についての話題を第16回の“音楽編”に記したので、今回は現地の人々の生活の様子を中心に紹介してみたい。
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マンゴーの木が強い日差しを遮ってくれる。炎天下、ものを頭に乗せて歩くのは“一石二鳥”。



サハラ砂漠の南に位置する素朴でまじめな人々の国ブルキナファソ
 「ブホッ! バホ〜ッ!」。真夜中、マイケル・ブレッカーのサックスみたいな家畜(ロバ?)の声が闇夜に響き渡る。西アフリカ・ブルキナファソの南西部にあるブルキナファソ第二の都市ボボディウラッソ(通称ボボ)に着いてから最初の数日間は、借りていた家の玄関の前(つまり家の外)で寝ていた。石とコンクリートの四角い囲いにトタン屋根をかぶせただけのその家の中は、夜になっても昼間の余熱でうだるほど暑いうえに電気が通っておらず扇風機も使えなかったためだ。とりあえず、モスキート・ネットの中にいるので蚊に喰われたり蟻の襲撃を受ける心配はない。数日後に電気と水道のある家に引っ越して、現地では贅沢品の扇風機をすぐさま買い込んだが、それでも強烈な暑さと乾いた砂ぼこりには参ることしきりだった。赤土やコンクリートのブロック塀に囲まれた庭を共有しながら4〜5世帯が一緒に暮らすパターンが数多く目についた。その中庭での日常生活を目の当たりにした時、筆者の脳裏に甦って来たのは、自分が幼い頃によく遊んでいた、養蚕を営み桑畑と水田を耕す祖父母の家の庭の風景だった。昔の日本の農家の生活とちょっと雰囲気が似ているが、それにしても彼らはシンプルな生活を営んでいる。たとえば、どの家の庭にも“ラジー”と呼ばれるプラスチックのやかんが必ず置いてある。このやかんの水で手や足を洗うのだが、特に覚えておかなければいけないのは、トイレに行く時はそれを必ず持って行くということ。トイレには紙がないので、用を足したら左手を使ってその水でおしりを洗うのだ。これにはそれなりのテクニックが必要で、慣れないと上手く処理することが出来ないし抵抗感もある。
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庭でバケツ風呂。後ろに見えるファンキーなシマウマみたいな色と柄のプラスティックのやかんがラジーだ。この家のラジーが特別派手というわけではなく、どの家のラジーも赤や青、黄色、緑などの天然色ですぐに目についた。
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ブルキナでは、男も女も庭先で仕事をする。
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ブルキナファソに到着した3月のはじめは、ハルマタンのシーズンが終わろうとする時期。写真の右上空に“満月のような太陽”が見える。人々は“月見”ならぬ“お日様見”をしている、というわけではなくて、この日ボボでお祭りが行われていたために大勢集まっていたのだ。
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パレードが繰り出したカーニバルみたいなそのお祭りで、昔ながらの伝統衣装を身にまとったグループ。

水に慣れるまでが大変
 暑さと砂埃とトイレの他に、口に合う食べ物を探し当てるのも一苦労。現地についてから最初の2週間は、ほとんどのモノがすんなりとのどを通らなかった。筆者は肉嫌いなので特に不自由で、道ばたの屋台でライスを売っているのを見つけるとそれを買ってみそ汁(持参のインスタント)をかけて食べた。生野菜は食中毒の危険もあるので手が出せず、力の基になるものがなかなか見つからなかった。そんな中で、バナナやマンゴーは“主食”と言えるほど良く食べた。特にマンゴーは最高! ボボではいたるところにマンゴーの木があり、筆者が行った時は幸運にもちょうどマンゴーの収穫期だった。マンゴーで命拾いした感がある。また、水も最初のうちは地元の人が売り買いして飲むものは避けて、自分の体(胃)が慣れるまでは高額であってもちゃんとした店(?)やガソリンスタンドなどで売っているものだけを飲んでいた。
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南米コロンビアでは、労働者が炎天下の重労働に耐えるためにコカの葉を噛みながら作業に従事するという話があるが、西アフリカではコラの実である。道ばたで売っている。味は……、とても渋くて口に出来たものではない。
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バオバブの木。ボボから80㎞程南西に下ったあたりの農村地帯バンフォーラで。コートジボアールとの国境まで約50㎞。このあたりまで南下すると緑も多くパームツリーも増えてくる。
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バンフォーラのカフェ。屋根は壊れているがちゃんと営業している。うしろにそびえる大木はマンゴーの木。

ゴミの投げ捨てをやめよう、とは思っても……
 決して楽ではないサヘル地方の生活。さらに閉口したのは、いたるところに散乱する大量のゴミ。誰もかたずけようとしないし気にもとめていない様子。もっともここまでヒドイとかたずけようがないという気もする。果物の種や皮、紙などは、「いつかは土に帰るだろう」と気休めもきくが、分別収集に慣れた我々に特に抵抗があったのは、水を買って飲んだ後の袋の処理だ。ブルキナでは、水はすべてビニール袋入りで売っている。滞在中は、ボトル入りの水なんぞ見たことがなかった。ごみ入れなど街中探してもどこにもないし、人々は道路や他人の家の庭でもどこでも気にせず、そこら中にポイポイと捨てる。はじめのうちは捨てるのをためらってご丁寧に持って帰っていた我々も、その溜め込んだゴミを捨てる(ちゃんとした)場所はなく、いつかあきらめて地元の人々のやり方に従うしかなかった。そして雨が降ると(筆者の滞在中には1度も雨が降らなかったので、これは筆者がブルキナから帰国した後もボボに滞在した同行者が撮影したビデオで見た光景だが)、道路はすぐに水が溢れて川となり、濁流と共に大量のゴミが流れて行く。やがて雨があがると、いたるところに池みたいな大きな水たまりが残り、流れていたゴミは交差点などにうずたかく積もるのである。
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この子たちは裸になって遊んでいるのではなくて、“いつも”この格好なのだ。街なかで真っ裸でクツも履かずに歩いている人をよく見かけた。ブルキナは「世界でもっとも貧しい国のひとつ」と言われている。しかし、大都市の中心部は道路も舗装され、スーパーもあるし、ネットカフェもある。つまり、良い暮らしが出来る人々と、この写真の子ども達のような貧しい庶民との格差が尋常ではないのだ。

暗殺されたアフリカの期待の星トーマス・サンカラ
 上の写真の説明を書きながらふと思った。この際だから記しておこう。「乾季の暑さが厳しいがために農産物が育たず、生産性も上がらない」というのが貧困の大きな理由のひとつかもしれないが、「政治が悪い」のも事実だと思う。トーマス・サンカラ(1949-1987)は、1983年にこの国の政権に就いた後、国名をそれまでの「オートボルタ(“ボルタ川の上流”という意味)」から「ブルキナファソ(高潔な人々の国)に変え、予防接種の実施や教育改革、農業生産の向上および植林事業、インフラ整備や国家支出の削減、さらに女性解放など、数多くの改革を推進していくつもの功績を成し遂げた。バイクが好きでギターを弾き国歌も自作したミュージシャンだったそうで、そんな人柄も国民の共感を呼んだらしい。だが87年に現大統領が率いるクーデターで暗殺され、他のアフリカ諸国からも高く支持されていた「アフリカの期待の星」は、わずか4年でその志をくじかれてしまう。あれから20年以上経ったいまでもブルキナでは多くの国民がサンカラを崇拝し、現政権に対する抗議のデモも行われているという。「サンカラが生きていたら、こんな風じゃなかった」という意見は多い。先述のゴミ問題などはその最たるものかもしれない。

深刻な問題はさておき
 ブルキナでは何もかもが驚きの連続だったが、特に愉快だったのは乗り合いタクシーだ。利用するときは、まずドライバーに行き先を告げてOKをもらってから乗り込む。すると車は、目的地へ向かう前に、まずガソリンを入れるために近くのガソリンスタンドへと直行する。客待ちをしているタクシーのガソリンタンクはいつも空らしい。ある時などは、我々が車に乗り込むのを確認した運転手は、車を降りてプラスチック容器に入れておいたガソリンをひとくち(1回分?)口に含み、それを口移しでタンクに入れてから発進した! ほとんどが小〜中型のオンボロ車で、走行中はドアの取手を引っ張っていないとドアが車体からはずれ落ちてしまいそうな車もあった。さらに困った事には、そのポンコツに5〜6人の乗客が乗り込むことがある。目的地に着くまでの途中の道ばたで別の客が手を挙げていると、車を停めてその客を次々と乗せるのだ。行き先はみな違うので、へたをするとひどいデコボコ道を土ぼこりにまみれてかなり遠回りして行く、というようなことにもなりかねない。筆者は、ハデなアフリカン衣装をまとった巨漢のご婦人とドライバーの間にはさまれて、助手席のシートからおしりが半分以上はみ出す中腰のような姿勢を余儀無くされたこともあった。
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午後のひととき、ティー・タイムを楽しむ若者たち。アフリカン・ティーは色も味もめちゃ濃くて刺激的な味。砂糖をたっぷり入れて甘くするのもそれが理由か? 小さなグラスで1杯飲むだけでパキンと目が覚める。
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何かお祝い事があったらしく、おめかししている子ども達。
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毎週末に開かれる、ボボ市内で一番大きなマーケット。さすがにここは品物が豊富だった。

 「ポジティ〜ヴ!」。ボボで出会った若者達が笑顔でよく口にしていたのがこの言葉。「前向きに明るく行こうよ!」というような意味。そりゃそうだ。これだけ厳しい環境にいたら、もう笑って暮らすしかない。それにしてもブルキナの人々は、みんな陽気で話し好き。コミュニケーションの取り方がうまくて、誰もがエンターテイナーだった。
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街の仕立て屋さん。
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ボボ市内の中心部には、1880年に建てられたというブルキナファソでもっとも古いモスクがある。
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国際空港がある首都ワガドゥグは国のほぼ真ん中に位置する。ワガドゥグ〜ボボ間の移動は、この国に1本しかないハイウエイ1号線を走る長距離バスで。ハイウエイといっても首都周辺は舗装されていたが、あとはずっとデコボコのラフ・ロード。約5時間の道のりはけっこうキツかった。写真は、ブルキナ滞在最後の日、ボボからワガドゥグへ向かうバスが途中で休憩所に立ち寄った時のもの。バスが停まると水や果物などを売る女性たちがすぐに寄ってきた。
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じゃぁまたね、えへへ

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by ReijiMaruyama | 2009-01-10 20:20 | Burkina Faso