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c0182910_16192572.jpg 第22回:レヴァークーゼナー・ジャズターゲ2010〜ギター・スペシャル
 人気と実力を兼ね備えたスーパー・ギタリストが大集結! パコ・デルシア、アル・ディメオラ、アラン・ホールズワース、スティーヴ・ルカサーなど7人のギタリストに加えて、ビリー・コブハムらマスター・ドラマーの3人とサリフ・ケイタのライヴを紹介。

c0182910_3155735.jpg 第21回:パット・メセニー・オーケストリオン
 オーケストリオンを使った前代未聞の独演会。2010年3月6日、ドイツ・ケルンで行われたパット・メセニー・オーケストリオン・コンサートの衝撃!

c0182910_54223.jpg 第20回:ヤン・ガルバレク
 プレスリーのレコードに合わせて女の子と楽しく踊っていた少年の人生は、コルトレーンの「カウントダウン」を聴いて大きく変わった。ドイツ・レヴァークーセンのジャズ祭に出演したノルウェーのサックス奏者、ヤン・ガルバレク/2009年11月10日。

c0182910_9285134.jpg 第19回:永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター
 日本では生のステージを観ることが出来ない永遠のブルースマン、ジョニー・ウィンター。ドイツでのインタヴューとその日のライヴ/2009年5月15日。

c0182910_1014415.jpg 第18回:ブランフォード・マーサリス
 中堅からベテランへと大きくその姿を変えようとするサックス奏者ブランフォード・マーサリスへのロング・インタヴュー/ドイツ・フランクフルト/2009年5月18日。

c0182910_4401799.jpg 第17回:ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ〜生活編
 ブルキナファソで見た現地の人々の生活の様子などを綴ったブルキナファソ旅行記〜生活編。

c0182910_439051.jpg 第16回:ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ〜音楽編
 ジャンベとバラフォンの本場、西アフリカのブルキナファソ旅行記〜音楽編。

c0182910_438925.jpg 第15回:ロックパラスト・ギター・スペシャル
 2008年11月に行われたドイツ・レヴァークーセンのジャズ祭3日目のプログラムはギター3本立て!

c0182910_9234552.jpg 第14回:ジョー・ザヴィヌル
 Joe Zawinul Forever! 今は亡き天才キーボーダーの故郷ウィーンを訪ねて。

ジョー・ザヴィヌルの声

c0182910_4362880.jpg 第13回:メロディ・ガルドー
 「これが新人か!?」とおもわず言いたくなるような“大ベテランのオーラ”を放つ女性シンガーが現れた!

c0182910_4354572.jpg 第12回:ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァル
 毎年夏にオランダで開催され、「ジャズとジャズに関連するあらゆるスタイルを含む“広義のジャズ”」をファンに提供する世界最大のインドア・ジャズ・フェスティヴァル。

c0182910_4345298.jpg 第11回:背高ノッポのベーシスト
 70年代のなかばに彗星のように現れてエレクトリック・ベース界に大革命を起こした天才ベーシストの黄金の遺伝子を継承するフェリックス・パストリアス!

c0182910_433988.jpg 第10回:奴隷制度のおきみやげ
 「アフリカの影響こそアメリカの音楽に固有のもの」と言うカサンドラ・ウィルソンは、悲しい歴史の痛みの裏返しによって美を創造し続ける。

c0182910_4312942.jpg 第9回:マイケル・ブレッカー
 現代ジャズ・サックスの最高峰と言われながら、2007年1月に白血病で他界してしまったテナー・マンを偲ぶ。

c0182910_4302324.jpg 第8回:アフリカン・テイル
 音楽は、力まかせでも、苦労や苦痛を伴ってやるようなものでもないと教えてくれたカメルーン出身のベース奏者、リチャード・ボナ。

c0182910_4293279.jpg 第7回:本家本元
 2003年7月にオランダで行われたフェミ・クティのライヴ紹介。

c0182910_4283073.jpg 第6回:オランダ出身のキュートな女性アルト奏者
 2005年夏にオランダで行ったインタヴュー。「日本の雑誌から取材を受けるのは初めて」と言いながら語ってくれた日本のジャズ・ファンへのメッセージ。

c0182910_4272890.jpg 第5回:ジョナス・エルボーグ
 筆者がジャーナリストとしてはじめて取材して、インタヴュー&写真撮影もした、記念すべきミュージシャン。

c0182910_4263187.jpg 第4回:デイヴィッド・“フューズ”・フュージンスキー
 フレットレス&フレッテッドのダブルネック・ギターで不可思議サウンドを連発。自己のバンド、スクリーミング・ヘッドレス・トーソスなどの活動の他、上原ひろみのSONICBLOOMにも参加して注目を集めている。

c0182910_4193279.jpg 第3回:エスビョルン・スヴェンソン
 2008年6月に44歳の若さで他界したスウェーデンのピアニスト。自己の名を冠したトリオ7作目のアルバムで日本デビューした2002年の秋にドイツで行ったインタヴューの一部を掲載。

エスビョルン・スヴェンソンの声

c0182910_4183131.jpg 第2回:メイシオ・パーカー
 初対面のジェイムス・ブラウンに「バリトン・サックスを持ってるか?」と聞かれ、「持ってます!」とウソをついてみごとJBバンドの一員となったメイシオ。70歳になったら何をプレイする?


c0182910_4164823.jpg 第1回:ベニー・モウピンとヴィクター・ベイリー
 「ベニーは、マイルス・デイヴィスの名盤『ビッチェズ・ブリュー』でプレイしたレジェンドだ!」(ヴィクター)


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# by ReijiMaruyama | 2017-09-04 08:41 | Articles / 記事一覧

 2010年11月6日から8日間に渡って行われたドイツ・レヴァークーセンのジャズ祭、レヴァークーゼナー・ジャズターゲ。今年は、ギター・ファンが泣いて喜びそうなスペシャル・プログラムが3日間組み込まれていた。

Leverkusener Jazztage 2010 - Masters of Guitar programs-
初日(11月6日) Masters of Acoustic Guitar:
パコ・デルシア(g)/アル・ディメオラ(g)/ジョー・ロビンソン(g,vo)
3日目(11月8日) Masters of Blues Guitar:
ジョニー・ウインター(g,vo)/エリック・サルディナス(g,vo)
4日目(11月9日) Masters of Electric Guitar:
ジョン・スコフィールド(g)/アラン・ホールズワース(g)/スティーヴ・ルカサー(g,vo)
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パコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”
 人気ギタリストのオンパレード! アコースティック、エレクトリック、ブルースの3つのギター界で人気と実力を誇るギター・マンたちが個性的なライヴを観せた中で、最も注目され話題になったのは、初日に行われたパコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”である。この日まで約14年間ひと言も口をきかない絶縁状態にあった2人は、まるでお互いにそのギャップを埋めるように、楽しそうに笑顔を見せながらデュオで1曲プレイした。それは、熱心なファンなら何をやったのかすぐに察しがつくかも知れないが、この2人がジョン・マクラフリン(g)と組んだスーパー・ギター・トリオの名盤アルバム『フライデイ・ナイト・イン・サンフランシスコ~スーパー・ギター・トリオ・ライヴ!』(81年)に収録されていた名曲だった。この2人の共演に関する詳しいことは、上記したギター・マンたち(サルディナスをのぞく7人)のライヴの様子と各人の使用機材のことなども含めて、12月14日発売のジャズライフ2011年1月号でレポートしている。ギター好きの方は、ぜひジャズライフ1月号をチェックしていただきたい。

Masters of Acoustic Guitar
 さて、ここからはジャズ祭に出演したギタリストを中心に、その出演順に写真で紹介してみたい。
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 アコースティック・ギターにサム・ピックを使ったフィンガー・スタイルで素晴らしいプレイを観せた、オーストラリア出身のジョー・ロビンソン。ソロ・デビュー作『バードシード』をリリースしたのは、いまから4年前、なんと15歳の時!
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 こちらは、アル・ディメオラのアコースティック・プロジェクト、ニュー・ワールド・シンフォニア。
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 そして、情熱的なフラメンコダンスもフィーチャーして、目と耳で楽しませてくれたパコ・デルシアのバンド。パコ・デルシアとアル・ディメオラの“仲直り共演”は、このライヴのアンコールで行われた。

Masters of Blues Guitar
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 ジョニー・ウィンターのステージ。2曲プレイしたアンコールの1曲目には、この日ジョニーのサポート・アクトを務めたエリック・サルディナスが、ドブロ・ギターにボトルネックで飛び入りした。ジョニーは、1年半前にインタヴューした時(『永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター』/文末のリンク集参照)よりも頬の辺りがちょっとふっくらとした感じで体調も良さそうだった。

Masters of Electric Guitar
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 ドラムのビル・スチュワートとベースのスティーヴ・スワロウとのトリオで出演して、もっともジャズ的(?)なプレイを観せたジョン・スコフィールド。
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 プロ・アマを問わず、世界中のギタリストが熱い視線を向けるアラン・ホールズワース。ホールズワースのギターのプレイ・スタイルやサウンド、音楽性は、まさにワン・アンド・オンリーだ。
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 スティーヴ・ルカサーのプレイは、ポピュラー・ミュージックが好きな人なら、彼の最近のソロ活動やTOTO以外にも必ずどこかで無意識のうちに聴いている。70年代からスタジオ・ミュージシャンとして超売れっ子だったことを、どこかのサイトで見たインタヴュー・ビデオで本人が語っていた。それによると、TOTO時代にマイルス・デイヴィスから「俺のレコーディングに参加しろ」と言われたが、忙しすぎたのでマイルスのその誘いを丁重に断ったそうだ。もったいない。
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 ルカサーの最新アルバム『オールズ・ウエル・ザット・エンズ・ウエル』に収録されている新曲を中心に、ロック・テイストあふれるステージを展開したルカサー・バンドの紅一点。演奏はもちろんのこと、メンバーの中でただひとり踊りながらプレイするそのルックスもなかなかクールだった女性ベース、レネ・ジョーンズ。

*** つづいてここからギター・プログラム以外のライヴ ***

実力派ドラマー3人が自己のバンドでコンサートを行ったDrum Word
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 ジャズ祭5日目に行われたドラム・ワールドのトップバッターは、サックスとピアノとベースを加えたクアルテットで出演したマヌ・カッチェ。素晴らしい演奏を観せたマヌは、オーディエンスの盛大な拍手を受けながら最後にこう言った。「申し訳ないけど、僕がこれ以上ステージを占領しているわけにはいかない。このあとまだまだ素晴らしいドラマーが登場するんだ。このステージに立つことができて光栄だよ」。
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 2番手はオマー・ハキム。サックスのボブ・フランセスキーニやベースのジェリー・ブルックスなど、気心の知れた友人たちにサポートされて、洗練されたドラミングと素晴らしいオリジナル楽曲の数々をのびのびと披露した。
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 そして、この日のトリは、“元祖ドラムの手数王”ビリー・コブハム
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 コブハムは非常にひょうきんな人だ。演奏中、筆者のカメラに向かっておどけた表情を観せてくれた。
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 4本スティックの妙技も観せたドラム・マスター。
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 スティール・ドラムも加えたビリー・コブハム・バンドのライヴ。アンコールでプレイされた「ストレイタス」は、ぐっとテンポを落としてはじまったあと、コブハムのスネア・ロールから一気にスピードアップした。途中で各人のソロが展開して行くのはいつも通りだったが、エスニックなワールド・ミュージック風味を取り入れて新しいアレンジが施されていたのが新鮮だった。ドラムが主役のこの日は、ちょっと年齢層が高めの男性客が数多く詰めかけていた。

Voices of Africa
 6日目は、アフリカ中央部コンゴ民主共和国出身のシンガー、ロクア・カンザが自身の歌とアコースティック・ギターの美しいサウンドで会場を包み込んだあと、西アフリカ・マリ出身の人気シンガー、サリフ・ケイタが登場。
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 サリフ・ケイタのバンドは、コンガやジャンベ、カラバシ(大きなヒョウタンを半分に割ったものを伏せてそれを手で叩く)などの打楽器奏者3人と、ギタリスト2人、ベース、ゴニ(コラに似た弦楽器)、それに女性シンガー2人という総勢10人の大所帯で、ゴニ奏者のアクロバチックなプレイやジャンベ奏者の叩きまくりなどのソロ・パフォーマンスも織り交ぜながら、ダンサブルなステージを展開した。
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 西アフリカのビートで踊りまくる会場に向かって「君と君、それからあなたも」と、オーディエンスを指差して……
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 20人ぐらいの観客を舞台に引っ張り上げて踊らせる。以前、別の記事『ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ~音楽編』(リンク集参照)にも書いたが、アフリカでは、ミュージシャンがコンサートで演奏している時、そのステージに聴衆が上がり込んで一緒に踊りだすのは当たり前のことなのだ。

2010年のジャズターゲのメイン会場フォーラム
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 ホール内では出演アーティストたちのCDやポスター、ツアーTシャツ、それにジャズ祭のTシャツ(今年も主催者がジャズライフ読者へのプレゼントに提供してくれた!)などのグッズも売られている。
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 ドリンク売り場。ケルンの地ビール(ビン入りと生の両方がある)やソフト・ドリンク、ワイン、ゼクト(スパークリングワイン)、ウォッカなどがプライス・リストに記されている。価格は、ビールやコーラなどが1WM、ワインは2WM……???
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 CDやTシャツなどのグッズは現金で販売されているが、ドリンクやスナックを買いたい人は、まずはこのようにWM(Wertmarke/代用貨幣)を手に入れてから売り場へと向かう。1WMは2.50ユーロだった。
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ブラボー!

リンク集:
●ジャズライフ (jazzlife.co.jp)
●レヴァークーゼナー・ジャズターゲ(Leverkusener Jazztage 2010)
●ロックパラスト・ギター・スペシャル (2008年のジャズターゲ/本サイト内の記事)
●ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ~音楽編 (西アフリカ・ブルキナファソ旅行記/本サイト内の記事)
●永遠のブルースマン~ジョニー・ウィンター (2010年5月に行ったジョニー・ウィンターへのインタヴュー/本サイト内の記事)

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# by reijimaruyama | 2010-12-17 14:08 | Jazz Festival

 パット・メセニーが、新作アルバム『オーケストリオン』を制作したと聞き、そのプロジェクトの詳しい内容を知った時はびっくり仰天した。それは、生のアコースティック楽器をいくつも組み込んだ自動楽器演奏装置“オーケストリオン”を、メセニーが、たったひとりで、ギターやフット・ペダルなどを使ってコマンドを出しながら、リアルタイムで鳴らして曲を演奏するというもの。楽器を鳴らすために必要な物理的な力は、電磁力(ソレノイド・パワー)や空気力学を応用して作り出しているそうだ。

 今回は、2010年2月から3月にかけて行われたパット・メセニー・オーケストリオン・ヨーロッパ・ツアーから、3月6日にドイツのケルンで行われたコンサートの模様と、それを観て感じた事などを写真と共に紹介する。ちなみに、このケルン・コンサートについては、すでにジャズライフ5月号で詳しく報告してあるので、ここではその記事の中に書ききれなかったことを中心にお伝えしたいと思う。
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Pat Metheny Orchestrion Tour in Europe
at Kölner Philharmonie, Cologne, Germany on March 06, 2010
2010年3月6日、ドイツ・ケルン/ケルナー・フィルハーモニーにて

究極のメセニー・ミュージック
 メセニーのこのプロジェクトに対して賛否両論がある。「素晴らしい!」という絶賛に対峙する言葉は、サーカス、大道芸人、チンドン屋……。そんな極端なことを言う人は少数派かもしれないが、たしかに存在する。言論の自由があるので何を言おうとかまわないし、ひとりひとりが自分の好き嫌いで判断すれば良いことだが、ひとつだけはっきりと言える事は、「パット・メセニーのオーケストリオン・プロジェクトは、お遊びや気まぐれでやるには、金と時間、そしてメセニー本人や彼のスタッフの労力も、すべてが膨大すぎる」ということ。「バンドでやっていることとあまり変わらない。なにもこれを機械にやらせなくても……」、と言うもっともな意見(?)もある。しかし、ミュージシャンがやりたいことをやらなく(やれなく)なったら死んだも同然。その意味でパット・メセニーは、まさにいま生き生きと活動している“しあわせな音楽家”だと言える。

 メセニーの音楽は不変だ。それは、これから何年経ってもまず変わることはないだろう。そして、このオーケストリオン・プロジェクトも、まぎれもない“パット・メセニーの音楽”である。良いか悪いか好みの問題はさておいて、これほど大胆で野心的なことをジョークにしないで(これ重要!)、やり遂げることの出来るミュージシャンがいまこの世の中でメセニーの他に存在するだろうか。このプロジェクトでメセニーが目指したものは、「自分の音楽を、オーケストリオンを使って、自分の思い通りに、自分ひとりでその場で演奏すること」である。オーケストリオンは、メセニーのコマンドに対して、“何の思わくも入れず”忠実に従う。これこそ“究極のメセニー・ミュージック”ではないか。
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自動楽器演奏装置オーケストリオン
 オーケストリオンは、いまから100年も前にビッグ・ビジネスとしてレストランやバーなどでもてはやされたものだという。ドイツのライプツィヒが発祥の地であるらしい。だがその後、録音技術の進歩と共に姿を消した。いまではコンピュータで完璧な音楽を作ることも出来るが、メセニーのオーケストリオンは、そういうシンセサイザーやシーケンサーを使ってあらかじめ準備しておいた音源ループを鳴らすものとは異なり、ひと昔前のオーケストリオンに現代のテクノロジーを付け加えて、複数の“生きたアコースティック楽器”を同時に鳴らす自動楽器演奏装置である。凝り性のメセニーらしいアイデアだ。
 メセニーと彼のスタッフが4年の歳月をかけて作り上げたというこのオーケストリオン・システムには、ドラムやシンバル、コンガ、マリンバ、ヴァイブラフォン、ピアノ、オーケストラ・チャイム、アコースティック・ギター、エレクトリック・ベース、ギターボット、それにカスタネットやトライアングル、カウベル、シェーカーなどのパーカッション類、さらには水が入った大きさの異なるガラスの瓶を鳴らす装置など、いくつものアナログ楽器が組み込まれている。そして、それらがひとつの大きな機械仕掛けとなり、メセニーの操作のもと、メセニーと一緒に音楽を奏でる。ドラムとシンバルは、ジャック・ディジョネットの使用モデルで、ヴァイブラフォンとマリンバのマレットは、ゲイリー・バートン御用達のものを使っているそうだ。機械仕掛けの中にも人間の個性を付け加えたいという気持ちがうかがえる。“幽霊バンド”と言うなかれ。しかし、「これはもうほとんど病気!?」(あるフォトグラファー)と言いたくなるのもわかる。「天才と変人は紙一重」とはまさにこのことか。

 小さな箱に入れられたオルゴールが奏でるメロディには、電気的に作られたものとは一線を画する情緒がある。乱暴な言い方をすると、そのオルゴールのサイズを大きくして楽器の種類を増やしたものがオーケストリオン。ただし、メセニーのオーケストリオンは、メセニーが、ギターや手元足元の装置(インターフェース)を使って、リアルタイムで各楽器の演奏のニュアンスまで変えることが出来るものである。「楽器の数だけパット・メセニーがそこにいる」、そう考えるとワクワクしませんか? 極論すれば(真偽のほどは本人以外にはわからないが)、メセニーが思った通りに即興演奏することが自分のバンド(たとえばPMG)以上に可能であるのかもしれない。

 すべてが問題なく作動すれば……。

ドイツ・ケルンで観たパット・メセニーの前代未聞の独演会
 去る3月6日にケルンで行われたパット・メセニーのオーケストリオン・コンサートは、メセニーのアコースティック独奏3曲に続き、オーケストリオンを使って、メセニーの新作に収録されていた新曲5曲が一気にプレイされ、その後もオーケストリオンのデモンストレーションを兼ねた3つの即興演奏を織り交ぜながら、PMGのこれまでのアルバムの中から4曲(アンコールを含む)が披露された。その全15曲・2時間30分の充実したステージに、会場に詰めかけた満員の観客も盛大な拍手を送り続けていた。が……、

オーケストリオンのシステムに大トラブルがあった!!!

 まず、開演前にオーケストリオンのインターフェースにトラブルがあり、復旧のために開演時間が30分遅れた。そして、これはうかつにも観ていて気がつかずあとでわかったことだが、コンサートの途中(オーケストリオンを使いはじめて2曲目)に、ステージの右と左に置かれていたギターボットのうち左の1台がパンク! その時、ギターボットから煙が出たため(!?)、メセニーがすぐにその1台だけシャットダウンしたらしい。さらに、その後も開演前と同じ問題がまた生じたため(これも気がつかなかった)、本来は2時間半休憩なしで行うコンサートを途中で20分ほど中断して、その間にフット・ペダルを予備のものに入れ替えてシステムをリセットするという復旧作業が行われた。
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コンサートの冒頭で、カナダの女性ギター・ルシアー、リンダ・マンザーが製作したナイロン弦ギターとバリトン・ギター、42弦ピカソ・ギター(写真)の3台を使って3曲の美しい独奏を披露。
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アイバニーズの丸いシングル・カッタウェイでホロウ・ボディのギターに持ち替え、フィンガー・シンバルのパルスをバックにしばし即興プレイを観せたあと、そのフィンガー・シンバルを観客にアピール。この小さなリズムボックスは、壮大なオーケストリオン・システムに組み込まれた楽器の中でも、メセニーの最良の友と言えるものらしい。メセニーの後方にあるオーケストリオンの楽器群は、まだカーテンで覆われている。この直後にカーテンが開いてオーケストリオンが全貌を現した。

まるで生き物のようなオーケストリオン・システム
 メセニーは、人間のミュージシャンを見るようなまなざしを各楽器に向けながらプレイし、MCの時も楽器たちを「彼ら(these guys)」とか「みんな(everybody)」などと言って、オーケストリオンに対してかなりの愛情を込めているという印象を与えてくれた。オーケストリオンの演奏は、想像していた以上に有機的で手作りの感じが伝わってくるもので、全体的に見て非常に好感が持てた。ただし、あえて言わせてもらうと、各楽器の演奏のダイナミクスには多少の物足りなさを感じる部分もあった。また、“メセニーほどの音楽家のレベル”で量るならば、この日の出来は「及第点」だったかもしれない。本人としても「もっとうまく行くはず」だったのではないだろうか。システム・トラブルのことではない。いや、それと関係があったのかもしれないが、曲のエンディングで、メセニーのギターとオーケストリオンの演奏がぴたりと同期せずタイミングがずれてしまったことがあった。そういうところは、まだなんとなく“あやうい”感じがする。もっとも、そのあやうさがあるおかげで(完璧を目指すメセニーに対しては失礼な言い方かもしれないが)、オーケストリオンが、まるで生き物のようにかわいらしく見えてくるのではある。
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右手前の細長い鉄の板を縦に4つ並べたような姿をしたものが「ヒュンヒュン」という音を出すギターボット。ギター・スタンドに立てかけてあるアコースティック・ギターは、イタリア・ボローニャのギター・ルシアー、ジャンカルロ・スタンザーニとその息子ルカが製作したスタンザーニ・ソレノイド・ギター(文末のリンク集参照)。コンサート中盤にメセニーは、このギターを“手と足で”弾いた。これはイタリア人のギタリスト、パオロ・アンジェリ(Paolo Angeli/リンク集)のプレイにインスパイアされたものらしい。
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もう1本のアイバニーズのギター、パット・メセニー・モデルPM120は、オーケストリオンがどのように動くかを即興演奏によって観客に披露したときに使用された。
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おなじみのRoland Guitar Synthesizer G-303も登場。
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アンコール曲「メキシコの夢」では、ギルドのアコースティック・ギターも使用。
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オーケストリオンの各楽器は、音を鳴らすと同時に光も放つ。ビジュアル面での演出も忘れていない。


 大トラブルを克服して行われたパット・メセニーのオーケストリオン・ケルン・コンサート。最後は、オーディエンスが総立ちでスタンディング・オヴェーションを送り続けるなか、メセニーも満足げな笑顔を浮かべてステージをあとにした。すでに書いたが、このライヴの詳しい報告はジャズライフ5月号に掲載されている。そのカラー6ページの記事の中には、コンサートの様子の他に、メセニーがこの日に使用した合計8台のギターに関することや、オーケストリオン・プロジェクトのサウンド・ディレクター、デイヴィッド・オークスへのインタヴューも含まれている。ジャズライフのバックナンバーは、ネットでも最寄りの書店でも超カンタンに入手可能なので、メセニー・ファンの方は、ぜひ「パット・メセニー・オーケストリオン・プロジェクトの記念(?)」に、ジャズライフ5月号を購入して、同2月号(こちらには常磐武彦氏がニューヨークで取材したオーケストリオンの記事が掲載されている)とともに永久保存していただきたい。

 さて、ここで、ケルン・コンサートのあとでオークス氏が語ってくれた言葉の中から、ジャズライフの原稿で割愛した部分を紹介しておこう。

筆者:あなたは、オーケストリオン・システムの構築に大変な労力をつぎ込んだというわけですね。
オークス氏:今回に限らず、僕はパットのアイデアを現実のものとするためにつねに努力している。僕は、29年間パットと共に仕事をしてきているので、何を望んでいるのか、彼のひと言を聞いてすぐに理解出来るよ。
筆者:「一を聞いて十を知る」という感じですか?
オークス氏:パットは、自分が望むものをいつもはっきりと把握している。あまり細かい説明を聞かなくてもパットの言いたいことはわかるよ。たとえばパットは、「もっとビッグなサウンドで、リズム楽器の限界を超えるようなものにしたい」とか「5ウェイのステレオ・サウンドがほしい」なんて言い方をする。そのアイデアをどのような方法を用いて実現するか、そんなことパットはまったく気にしない(メセニーは何に対してもオープンである、という意味)。
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David Oakes

オーケストリオン・プロジェクトの衝撃
 こんなとっぴなアイデアを現実のものとし、その複雑なシステムによる大掛かりなショーまでも可能にして実行してしまうパット・メセニーと彼のスタッフの知恵と勇気とパワーには脱帽するしかない。オークス氏は、オーケストリオン・システムの設計およびステージ上のレイアウト、管理、さらにはコンサート会場のPA卓の操作に至るまで、メセニー・サウンドを支える重要な部分をいくつも手がけている。その彼が「オーケストリオンは、まだまだ発展途上のまっただ中にある」と語っていた。あれから3ヶ月。6月に行われる日本公演では、さらなる改良が加えられて安定感を増したオーケストリオンの演奏が披露されることになるだろう。見世物小屋に足を運ぶようなつもりでコンサート会場へ向かう人がいたとしても、そこで待っているものは、まぎれもない究極のメセニー・ミュージック・ワールドである。「見逃さずにすんで良かった!」と思うに違いない。耳で聴いて、目で見て楽しいそのコンサートには、性能の良いオペラグラスを持参することをオススメする。
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あとがき
 この夏、オランダ・ロッテルダムで3日間開催されるノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの初日7月9日に、パット・メセニー・グループ(PMG)が出演する。メンバーは、メセニー以下、ライル・メイズ(p,kb)、スティーヴ・ロドビー(b)、アントニオ・サンチェス(ds)というPMGの核をなす4人だ。これは、「The Song Book Tour」と銘打たれたPMGヨーロッパ・ツアーの一環で、クアルテット編成のPMGが、6月末から約1ヶ月間に渡って、いつものようにほとんど休みなしでヨーロッパ各国を興行する。メセニーが、オーケストリオン・ツアーの直後にこんなスケジュールを持ってきたのは、オーケストリオンに対して嫉妬心を抱いたかもしれないPMGのメンバーを気づかっての事だろうか。一流ミュージシャンとはいえ、みんな人間だ。ちなみに、オーケストリオン・プロジェクトは、ヨーロッパを皮切りにアメリカ~韓国・日本を回る大規模なワールド・ツアーを行い、どこも大盛況。それを受けて今秋も引き続きアメリカ各地でコンサートの予定が組まれている。まだまだオーケストリオンの快進撃が続きそうな気配だが、PMGが今後どのような展開を見せるのか、ファンとしては、そちらも気になるところではあろう。
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メセニーがオーケストリオン・プロジェクトでメインに使用するのは、アイバニーズUSAのPM35のプロトタイプとなったギター。
【追記:PM35は、その後モデル変更があり、2013年現在ではPM200とPM2の2機種が発売されている】

リンク集:
●パット・メセニー Pat Metheny official site
●リンダ・マンザー・ギターズ Linda Manzer Guitars
●スタンザーニ・ソレノイド・ギター Liuteria Stanzani
●パオロ・アンジェリ Paolo Angeli official site
●アイバニーズ・ギター・パット・メセニー・モデル PM120 PM200/PM2
●常磐武彦(写真家/音楽ジャーナリスト) Orchestrion Photo Gallery
●ジャズライフ www.jazzlife.co.jp

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# by reijimaruyama | 2010-05-30 23:55 | Musician / Interview

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 ヤン・ガルバレク(ts,ss)は、ノルウェーのジャズ・ミュージシャンの最高峰にして孤高のサックス奏者である。他の誰も出し得ない透明感あふれる音色と美しいメロディを奏でることで知られ、演奏スタイルは耽美的で禁欲的と言われる。だが、ガルバレクが2009年10月に発売した2枚組ライヴ・アルバム『ドレスデン』(ECM)を聴いてみると、そんな堅苦しいイメージとはまた別の万人受けする音楽性があることにも気がつく。その新作リリースに合わせてドイツ国内をツアー中のガルバレクが、2009年11月10日、レヴァークーセンのジャズ祭、レヴァークーゼナー・ジャズターゲ(文末のリンク集参照)に出演した。
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Jan Garbarek Group
Live at 30. Leverkusener Jazztage on November 10, 2009

ヤン・ガルバレク・グループ:メンバーは、写真左からライナー・ブリューニングハウス(p,kb)、ユリ・ダニエル(b)、ヤン・ガルバレク(ts,ss,selje flute)、トリロク・グルトゥ(perc) <本記事の写真はすべて取材当日2009年11月10日撮影>

 ライヴ前に行われたガルバレク・グループのサウンド・チェック。モニター音量のバランス調整の問題で鍵盤奏者ブリューニングハウスとパーカッションのグルトゥがしばしディスカッションする場面があった。その間、ステージの中央に立つガルバレクは、黙って事の成り行きを見守りながら解決策をふたりの判断にゆだねていた。この時、「ガルバレクは無口で自制的」という印象を受けた筆者は、音合わせ終了後、ガルバレクの人柄についてユリ・ダニエルに聞いてみた。すると、図らずも彼の口からは次のようなコメントが返ってきた。「ヤンは、とてももの静かで、いつもしっかりと自分をコントロールしている。それなのに、バンドのメンバーや周りの人々を自然とひとつにまとめていくから驚きだ。そんなヤンの人柄は、彼の音楽にそのまま表れている。ヤンは、音楽に対するはっきりとしたビジョンを頭の中でつねに描いている。オーケストレーションに関しては、エバーハルト(下記注参照)の力が大きかったと思うけど、ヤンのアイデアが土台となっていたことは疑いの余地がない」。

(注)エバーハルト・ウェーバーは、1940年1月22日、ドイツ・シュトゥットガルト生まれのベーシスト。70年代からECMサウンドを代表するミュージシャンのひとりとしてリーダー・アルバムを数多く発表し、ゲイリー・バートン、ラルフ・タウナー、パット・メセニー、ヴォルフガング・ダウナー、ケイト・ブッシュ他のアルバムなどにも参加。ヤン・ガルバレクとは約30年間に渡って活動を共にしてガルバレクの音楽を支えてきた。だが、2007年初頭に病気(脳卒中)で演奏不可能となりガルバレクのグループを脱退、急きょユリ・ダニエルが後任を務める事になった。
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「エバーハルト・ウェーバーの大ファンで、それが高じてベースを弾きはじめた。だから、いつかヤン(・ガルバレク)と共演したいとずっと思っていた。ヤンのツアーでは、エレクトリック・ベース(ワーウィックの5弦フレットレス)を使っているけど、本当はウッド・ベースが僕のメインなんだ」というブラジル出身のユリ・ダニエル。現在はポルトガルに住んでいる。
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ガルバレクのグループで20年以上プレイしているドイツ人の鍵盤奏者、ライナー・ブリューニングハウス。キーボードを多用してサンプル音やループなどでガルバレクの音世界をサポートしていた。ライヴ中盤で観せた独奏ピアノ・ソロは、キラキラとした美しさと壮大な力強さを持った迫力あるプレイで聴衆から大喝采を浴びた。
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バスドラとスネア、ハイハットなどにタブラやジャンベ、シェイカー、様々な形のシンバルやベルなどの金物を数多く組み合わせて強力なドラム&パーカッション・セットを構築し、ドラマーともパーカッショニストとも言いがたいアプローチを観せていたインド人、トリロク・グルトゥ。以前は地べたに座っていろいろな種類の打楽器を鳴らしていたが、今回はドラム用のイスに座ってプレイしていた。水入りのバケツを叩いたり、その水にゴングやチャイムを浸しながら鳴らすなど、独特の世界を創りだしてガルバレクの音楽に色を添えていた。
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ジャズターゲの模様は、毎年、地元ケルンのテレビ局WDRが録画放映している。

無口のガルバレクはインタヴューがお嫌い?
 1947年3月4日、ノルウェー・ミーセン生まれのヤン・ガルバレク。この孤高のサックス奏者は、ツアー中の取材を一切受け付けておらず、レヴァークーセンでもテレビ局のインタヴューを断っていた。筆者もガルバレク本人と話すことは出来なかったが、彼のマネージャーの計らいで、ガルバレクが一部のプレス向けに特別に制作したインタヴューCDを入手することが出来た。その中身は、こちらが聞きたかった質問に対する答えが満載のとても充実した内容! 自己名義でのライヴ盤を出すのがいまになってしまった理由や、ライヴのセット・リストのこと、クアルテットというバンド・フォーマットについて、マヌ・カッチェ(ds/ライヴ盤が録音されたツアーに参加)とトリロク・グルトゥ(今回のツアーに参加)というふたりの打楽器奏者から受ける影響、自分の作曲方法や即興についてなど、11の質問に対して、思慮深い言葉でとてもはっきりと丁寧に答えている(質問者の名前は不明)。それを聞くと、ガルバレクは、決してインタヴュー嫌いという訳ではなく、ツアー中は演奏に集中したいだけなんだろうと思えてくる。それらの言葉を盛り込んだ記事は、ジャズライフ2010年1月号に掲載された。最近ではあまり聞く事の出来ないヤン・ガルバレクの貴重な発言が詰まっているので、特にガルバレク・ファンの方たちにはぜひ読んでいただきたい。ちなみに、その号では、開催30回目を迎えて大いに賑わったジャズターゲの模様(ガルバレク以外にもマーカス・ミラーやアル・ディメオラ、リー・リトナー、キャンディ・ダルファー他の人気アーティストが数多く出演)も巻頭カラーで大きく取り上げられている。バックナンバーもいまならまだ簡単に手に入るので、どうぞよろしく。
 さて、話がちょっと横道にそれてしまったが、ここで、そのジャズライフの原稿に書ききれなかった3つの質問に対するガルバレクの言葉を紹介してみたい。

自分の音楽をジャズであると考えるか?
 「私にとってジャズとは、ルイ・アームストロングにはじまり1960年から65年頃までの間に完結したものだ。それ以降のすべてのものは、私がジャズと呼ぶものとは別領域にある。アームストロング、エリントン、オスカー・ピーターソン、ジーン・アモンズ、デクスター・ゴードンがジャズ。初期のマイルスとコルトレーンもジャズと呼べるが、のちに彼らは私が考えるジャズの範疇から飛び出した。どこまでがジャズなのか? それは聴く人の定義、カテゴライズの仕方によって異なる。だが、リズムのあるインストゥルメンタル・ミュージックをすべてジャズと呼ぶのは無意味だ。それでは言葉の水増しだ。私は、自分の音楽をジャズという言葉では……、いや、ジャズであるとは考えていない。ジャズのリスナーとして、またその演奏者としての私の長い歴史が、私の音楽にジャズの要素を持ち込んでいることは間違いないだろう。だが、多少は異なったものになっているんじゃないかな。それを何と呼ぶのか、名前のようなものを見つける必要なんてない、ということを私は幸運に思うよ」。

音楽をはじめたきっかけ
 「12か13歳の頃、エルビス(・プレスリー)などのレコードにあわせて女の子と一緒に踊るのは楽しいと思ったけれど、音楽そのものにはまったく魅力を感じなかった。でもラジオでジョン・コルトレーンを聴いてすべてが変わった。あれは私の人生でとても重大な出来事だ。ある日、戸外で友達と遊んでいた私は、いつの間にか夕方になって周りが暗くなってきたので家に入った。すると音楽が聴こえた。その時、とても特別な何かに引きつけられたんだ。曲が終わると司会者が「これで今週の“ジャズ・アワー”を終了します」と言ったので、その音楽がジャズだと知った。その番組はコルトレーンの新しいアルバム『ジャイアント・ステップス』(1960年)の曲を放送していたらしくて、私が聴いたのは「カウントダウン」だった。すぐに私はアルバムを手に入れて、それ以来毎朝学校へ行く前に朝食を食べながら聴いた。毎日、何年間も聴き続けたよ。当然のごとく、私は両親にサックスが欲しいとせがんで困らせた。半年ほどして、ついにクリスマスにサックスを手に入れた。でもそれはとても古くて状態の悪い楽器だった(笑)。パッドを取り替えるために2週間ぐらいオーバーホールに出す必要があったが、私はその間にサックスの教則本を見ながら毎日フィンガリングを学び、サックスが戻ってきた時にはある程度の曲ならすぐに吹けるようになっていた。これがその後のやる気を推進する結果につながったんだ」。

これまで40年間、音楽制作活動を共に行ってきたドイツのレコード・レーベル、ECMのオーナー兼プロデューサー、マンフレート・アイヒャーとの出会いについて
 「ミュージシャンとしての私の人生において、ECMは、とても大きな意味を持つ。マンフレートと知り合うきっかけをもたらしてくれたのは、ジョージ・ラッセル(composer)だ。当時(1969年末頃)、私は、ラッセルのセクステットのメンバーとしてイタリアをツアー中で、イタリア北部のあるジャズ・フェスティヴァルに出演した。そこでマンフレートを紹介され、彼が新しいレーベルを立ち上げたばかりだと聞いたので、自分の演奏を収めたテープがあるのでそれをリリースする気はないかとこちらから持ちかけた。でも、彼はその私のオファーを断った。マンフレートは、自分の手によるレコーディング・テープを作ることを望んでいたんだ。「電話はしてこなくていい。こちらから連絡するよ」という彼の言葉を聞いた時、私は正直言ってもう連絡はないだろうと思った。ところが、それから半年ほどのちにマンフレートから手紙が来た。彼がオスロに来るので、私にバンドを結成して曲を準備して録音スタジオを押さえるように、と書いてあった。ミュンヘンから列車に乗ってやってきたマンフレートは、ダウンタウンであまり値段が高くないホテルを予約してくれと言う。私は彼のために宿を押さえた。想像してみてほしい。それは、“赤線地帯”にあるような、安いというよりもむしろひどいというべきホテルだった。そして、帰りも列車。彼は、とても大切なテープを膝に乗せて、ミュンヘンまで丸1日かかったんじゃないかな。すごい話だろう。(そのレコーディングは)彼にとってそれだけの値打ちがある投資のようなものだったんだろうね(笑)。これがECMに吹き込んだ私の最初のアルバム(『アフリック・ペッパーバード』1970年)で、国際的に良い評判を得て成功したのですぐに2枚目も作った。その関係がいまでも続いているという訳だ。すべてはジョージ・ラッセルとイタリアで行ったギグからはじまったのさ(笑)」。
---以上、先述のガルバレクのインタヴューCDより---

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「まるでバットマンのコミックに登場する悪役ジョーカーみたいな顔」とは、ケルンの新聞社の女性フォトグラファーの言葉。ガルバレクのサックスが奏でる美しい音色の秘密は彼の口元・アンブシュアにあるのか?
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ガルバレクの使用サックス:テナーは、青いロゴ入りのセルマー・マークⅥ。ソプラノは、ガルバレクのトレードマークにもなっているカーヴド・ソプラノ。レヴァークーセンのライヴでは、その2本をほぼ半々に使用していた。サックスのリードにかなり神経を使っている様子で、筆者が確認しただけでもサウンドチェックの時にソプラノのリードを2回、本番ライヴ中は、ソプラノとテナーのリードをそれぞれ1回づつ交換していた。また、指穴のないセリエ・フルート(ノルウエーの民族楽器)を使って、グルトゥのボイスパーカッションと掛け合いながらリズミカルな即興も披露した。
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その他の使用機材:レヴァークーセンのステージでは、アップル(Mac)のノートブックコンピューターとRME Fireface 400(高性能マイクプリアンプを備えたオーディオインターフェイス)も使っていた。Mac内に仕込んだエフェクトを使用しているのではないかと想像するが確証はない。これらのハイエンド機器をどのように使っているのか、プラグの差し込み方やMacのディスプレイに映ったアプリケーションを見てお分かりの方がいたら教えていただきたい。サックスの音を拾ったマイクの信号は、RMEとMacを経由したのち、ガルバレクの足元に置かれたBossヴォリューム・ペダルFV-50Hへと送られていた。これでエフェクト(あるいは全ての信号)の音量をコントロールしているのだろうか?
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コンサート終了直後のオーディエンス。やはり、と言うべきか、この日集まったファンの年齢層は高めだった。ジャズターゲのメイン会場フォーラムの天井には、音響を考慮して逆ピラミッド型のエレメントがいくつも取り付けられている。

最後に……
 ガルバレクは、このレヴァークーセンでのライヴの後、去る3月までドイツ国内31カ所をツアーした。そして、この2010年の年末も引き続きグルトゥを加えた自己のグループ(クアルテット)でスイスやハンガリーを演奏旅行するが、そのスケジュールの谷間となる9月と10月には、ヒリヤード・アンサンブルとの共演ツアーも行う。これは、今年、ECMから発売されることになっているガルバレクのヒリヤード・アンサンブルとの共演アルバム『Officium Novum』のお披露目興行で、ドイツやオーストリア、チェコ、イギリス、スイスなどを巡業することになっている。
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この記事関連のリンク集:
Jan Garbarek Group (ツアー・インフォメーション)
レヴァークーゼナー・ジャズターゲに関する記事(本サイトの第15回)
Leverkusener Jazztage website(ドイツ語)
ECMレコード
ジャズライフ

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# by reijimaruyama | 2010-05-06 22:02 | Musician / Interview

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3年前に立ち上げて以来、これまで何も手を加えていませんでしたが、このたびホームページwww.reijimaruyama.comをリニューアルしました。

特に大きく変えたのは、フォトギャラリー(Live Music Photography)のページで、これまでアップしていた写真を一新しました。また、パブリケーション(Publication)も中身をアップデートし、さらにところどころに画像を付け加えてあります。それから、サイト内の検索エンジン、コンタクト・フォーム、ここでも紹介したエスビョルン・スヴェンソンの声をマイスペースとは別のフラッシュ・プレーヤーで紹介するページ(Voices)なども新たに設けました。今後も細かいところを変えたりディテールをアップデートしながらいろいろと手を加えて行くつもりです。ぜひご覧になってみてください。また、ご意見、ご感想もお聞かせいただけるとうれしく思います。
(2010年4月2日)


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# by reijimaruyama | 2010-04-02 23:09 | Information

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 2008年6月14日にスキューバダイビング中の事故により44歳でこの世を去ったスウェーデンのピアニスト、エスビョルン・スヴェンソンの訃報に接した時は、特別な感情を抱いた。その理由は、筆者がそれまでに行ったエスビョルンへのインタヴューの会話の中で未発表となっていた“ある部分”をふと思い出したからである。すぐにこのサイトで紹介することを考えたが、その時はそのままにしておいた。エスビョルンが語った「人生とスピリチュアル・ワールド(あの世)に関する話」は、彼が他界した直後では、あまりにもタイムリーすぎて公表する気になれなかったのだ。しかし、エスビョルンの死後1年半を過ぎたころになって、あの部分は“本人の生の声”で紹介したいと思いはじめた。そしてやっと今回、5分弱にまとめたエスビョルンの言葉をマイスペース・サイトにアップすることができた。前回のジョー・ザヴィヌルの声と同様に、日本語訳もマイスペース・ブログの方で紹介している。

エスビョルン・スヴェンソンの声 日本語抄訳 >>
*リンクをメイン・サイト内に変更しました。


第3回:エスビョルン・スヴェンソン(当サイト内記事)
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# by reijimaruyama | 2010-02-23 17:23 | Information

ジョー・ザヴィヌルの声

マイスペースでミュージシャンの生の声を紹介
 これまでいろいろなミュージシャンへのインタヴューを行い、その記事を雑誌やこのサイトなどで紹介しているが、“彼らの生の声”をみなさんと分かち合いたいと思うことが時々ある。ミュージシャンも人の子だ。本人のその日の体調などにも左右されると思うが、何でも気さくに語ってくれる人もいれば、気難しい感じで取材がスムースに進まないこともある。筆者は、特別なケースをのぞいて、それらの会話をテープやMDなどに録音しているが、あとでそれを聞きながら日本語の文字に起こす際に、新ためていろいろと考えさせられたり、思わずニヤリ、さらには大笑いしてしまうこともある。ミュージシャンたちが演奏する楽器の音や歌声は、コンサートやCDなどで聴くことが出来るが、「普段はどんな声でどんな風にしゃべるんだろう?」と興味を抱く方もいるのではないだろうか。
 ということで、これまでに取材で録りためたミュージシャンの生の声を、ほんの一部ごくわずかではあるが、今回新たに立ち上げた筆者のマイスペース・サイトで紹介することにした。
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 どの程度のことが出来るのか、やってみないとわからない。このページに新しい記事を投稿するだけでもかなり長い期間を要しているので、“亀のペース”どころではなく“ナマケモノ”のようにじっと動かないことがあるかもしれないが、マイ(ス)ペースで紹介して行きたいと考えている。

 まず手はじめに、本サイトの第14回でも紹介した天才キーボーダー、ジョー・ザヴィヌルの声をアップしてみた。ザヴィヌルが筆者に語ってくれた言葉の中から、自身の即興スタイル、機材トラブル、パコ・セリー、ジャコ・パストリアス、ウェイン・ショーターなどについてのコメントを3分弱にまとめてある。興味のある方は、筆者のマイスペース・プロフィール(下記のリンク)で表示されるミュージックプレーヤーの再生ボタンをクリックしていただきたい。英語が苦手な方のために、インタヴューの前日に行われたザヴィヌルのライヴのエピソードなども多少書き加えた日本語の抄訳をマイスペースのブログにアップしてある。

ジョー・ザヴィヌルの声 日本語抄訳
*リンクをメイン・サイト内に変更しました。

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# by reijimaruyama | 2009-12-13 16:20 | Information

 2009年5月15日。デュッセルドルフから車で東へ40分程走ったところにあるヴッパータール市でジョニー・ウィンターのコンサートが行われ、筆者はそのライヴの前にジョニーにインタヴューした。永遠のブルースマンは、彼のバンドのメンバーやスタッフらと共にバック・ステージ裏に停めてあるキャンピング・バスの中にいた。
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Johnny Winter 取材当日撮影

 この日は、筆者の前にドイツの新聞社(Westdeutshe Zeitung)もジョニーへのインタヴューを行った。車内の後方で自分の番を待つこちらの耳に聞こえてきたのは、「これまでのあなたの音楽キャリアの中でどの時代が一番良かったと思いますか?」という質問。それに答えるジョニーの声はとても小さくて聞き取れない。質問者の声も次第に小さくなり、そのあとにジョニーの短い答え、そして沈黙……、そんなことを数回繰り返しただろうか、「私の質問はこれで全部です」という声が聞こえてそのインタヴューはあっという間に終わった。記者に同行した女性フォトグラファーが無表情のギタリストのポートレートを手早くカメラに収めると、2人はそそくさとバスをあとにした。

 自分の番が来た。「ミスター・ジョン・ドーソン・ウィンター3世、お会いできて光栄です」。そう言いながら右手を差し出すと、ジョニーは、「オー、イエス」と答えて、力は入っていないがとても温かい手を返してくれた。奥行き50センチほどのテーブルを挟んで向き合って座る黒いTシャツ姿のブルースマンの肌はとても白く、細い二の腕にはタトゥーがあり、ほおには毛細血管が紫色ににじみでている。透き通るようなプラチナ・ブロンドの髪の毛が肩の下まで伸びていて眉やまつげも黄金色。右目はほとんどふさいだままで、こちらを見る左目の瞳はちょっとピンクがかった銀灰色。座っているので見た目で背丈を計ることが出来ないが、思っていたよりもとても小さい感じで、第一印象は、かなり年老いた老人のような雰囲気だ。しかし、顔にはしわがなく、その表情には少年のような素朴さもうかがえる。1944年2月23日生まれのジョニー・ウィンター、この時は65歳と2ヶ月である。

 自己紹介のあと、インタヴュー中の会話を録音しても良いかどうかを問うとOKが出たので、バッグからMDレコーダーを取り出してテーブルの上にミニ・マイクを置いた。ジョニーは、バンドのセカンド・ギタリストでツアー・マネージャーも兼任するポール・ネルソンに「きょうは一体いくつインタヴューをやるんだ?」と聞く。ポールは、「10件だよ」と答えて、ジョニーがうんざりした表情を見せると筆者を指差して「でも彼が最後の10人目だ」とジョークを飛ばす。2004年にジョニーが発表した彼の最新(!)アルバム『永遠のブルースマン』(原題:I'm a Bluesman)にも参加してギターを弾いたポールは、もう何年も行動を共にするバンド・リーダーのことを良く理解している様子で、インタヴューの間は、口数の少ない主役の横に座って少しでも会話を盛り上げようと助け舟を出したりもするのだ。テーブルの上のマイクのすぐ前にウィンターの右手がある。彼の指は、音もなく、しかしせわしなくテーブルをタップしている。
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伝説のブルースマンへのインタヴュー Interview with Johnny Winter
――あなたの様子を日本のファンに紹介したいと思ってやって来ました。お時間をいただき感謝いたします。ありがとうございます。
ジョニー・ウィンター(以下JW):君のその言い方、まるで日本人じゃないみたいだ。
――純粋な日本人ですよ。さっそくですが、あなたはまだ日本で演奏した事がありませんね。なぜですか?
JW:その訳を話してもいいのかな……(と、隣に座るポールを見た)。
――本当のことを聞かせてください。
JW:僕はメタドンを使っている。でも、日本でそれは許されていない(メタドンは日本では未販売の医療用合成鎮痛薬)。だから、日本へは、これまで行ったことがないし今後も行くことはないだろう。
【追記:本人のこの言葉とは裏腹に2011年4月に初来日が実現した!】
――60年代後半に“100万ドルのギタリスト”の伝説を一夜にして作り上げ、その後、数多くの素晴らしいアルバムを制作して87年にはグラミー賞も受賞したあなたの影響を多大に受けているギタリストが大勢います。いまご自分のギター人生を振り返ってみてどう思いますか?
JW:自分はとても幸せだ、と感じているよ。
――いま65歳ですが、あと何年ぐらいツアー活動を続けたいと思いますか?
JW:ずっとギターを弾き続けるつもりでいる。健康でいる間は、出来る限り長くね。
ポール・ネルソン(以下PN):ジョニーは、最近も素晴らしいショーをいくつもやったんだ。エリック・クラプトンのクロスロード・フェスティヴァルに出演したり、オールマン・ブラザーズのアニヴァーサリー・コンサート(オールマンズのバンド結成40周年記念ライヴ)でも演奏したんだよ。
――それは素晴らしいですね。ところで、あなたは子どもの頃クラリネットを吹いていたそうですが、なんでも歯の噛み合わせの問題であきらめたとか。
JW:そう、僕の歯はクラリネット向きじゃなかったんだ(笑)。でもそれは僕にとってすごくラッキーなことだった。今ではクラリネット奏者にならなくて本当に良かったと心から思っている。ギターを弾くことができてとてもハッピーだよ。

ブルースの魅力 B.B.キングとの出会い
――ギターを弾きはじめた頃は、ブルースのどんなところに惹かれたんですか?
JW:理屈なしにブルースが好きだった。ブルースはとてもエモーショナルな音楽だ。
――あなたは黒人のコミュニティーに本当の意味で溶け込んだ最初の白人ミュージシャンと言われていますね。
JW:ああ、それは本当のことだよ。
――溶け込むのに苦労したり、その課程で嫌な思いをしたことなどはありませんでしたか。
JW:いや、そんなことはまったくなかった。
――むしろ居心地が良かったですか?
JW:そう、黒人の社会が大好きだったんだ。
PN:ジョニー、ブラック・クラブでB.B.キングと出会った時の話をしてあげたら?
JW:その話はもうみんな知ってるよ。
PN:いや、日本では知らない人もまだたくさんいるんじゃないかな。
――(実は、筆者は知っていたが)そうですね。ぜひお聞かせください。
JW:(テキサス州の)ボーモントにあるレイヴンという黒人のクラブにBBを観に行ったんだ。僕は17歳ぐらいだった(1961年頃)。そこで僕はBBに「飛び入りさせてください。ギターを弾かせてくれませんか」って聞いた。すると彼はユニオン・カード(米国でプロのステージに立つことが許される会員証)を見せろと言う。僕はそのときすでに持っていたのでそれを見せると、今度は「でもオレの曲のアレンジを知らないだろう?」ときた。「あなたのレコードは全部持っています。入っている曲のアレンジもすべて知っています」と答えると、彼は根負けしたみたいで僕に飛び入りを許してくれた。素晴らしかったよ。その時、僕は観客のスタンディング・オヴェイションを受けたんだ。
――自分のギターをちゃんと準備して持って行ったんですね。
JW:いや、持ってなかった。彼のギターを弾いたんだ。
――えっ!?
PN:ジョニーは、B.B.キングのギターを弾いたのさ(笑)。
――B.B.キングの愛器“ルシール”を弾いたんですか!?
JW:そうだ。
――これは初耳です。すごいですね。B.B.キングはとても親切な人ですね。
JW:本当に親切だ。あの時、彼には断ることだって出来た。僕とはそれまでに1度も会ったことがなかったんだから。
――そのあとBBの彼女ともダンスしたんですか?
車中の全員:わっはっはっ(大爆笑)。
JW:いや、それはなかったよ。ハハハ(笑)。

ブルースを、そして僕のプレイを聴き続けてくれ
――何年か前にボニー・レイットがオランダのジャズ祭に出演した時、「私の音楽はジャズではないけど、ジャズとブルースは同じルーツを持つもの」と彼女は言いました。あなたはジャズとブルースの関係についてどう思いますか。
JW:ジャズは好きじゃないんだ。
――あなたの好きなブルースとは関係のない音楽でしょうか?
JW:(ブルースとの)つながりは間違いなくあるよ。僕は、ただ単にジャズが嫌いなだけだ。
――あなたの最新アルバム(先述)には、まさにあなたにぴったりのタイトルが付けられていますね。これは「今後もブルースだけを演奏し続ける」という意思表示のようなものですか。
JW:そう、まったくその通りだ。
――ブルースに飽きるなんて一生あり得ないことですか。
JW:絶対にないよ。ハハハ(笑)。
――それでは最後に、あなたの生のステージを観ることのできない日本のファンに何かメッセージをいただけますか。
JW:ブルースを聴き続けてくれ。僕のプレイを聴き続けてくれ。それだけだ。
――どうもありがとうございました。
JW:どういたしまして。
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ドラマー、ヴィト・リウッツィの話
 ジョニーとのインタヴューを終えてバスを降りると、この日のサポート・アクトを務める地元ヴッパータール出身のブルース・ギタリスト、ヘンリク・フライシュラダー(Henrik Freischlader)が、ハモンド・オルガンも加えた自身のバンドによる農厚なロック・ブルースをホール内で響かせていた。筆者は、そのステージ裏で出番を待つジョニーのバンドのドラマー、ヴィト・リウッツィにも話を聞いた。ジョニーがいまでもファンの前でギターをプレイし続けているのは素晴らしいことだとヴィトに言うと、それを受けて彼はこう語ってくれた。「実は最近、ジョニーは、“引退したい”ってB.B.キングに言ったらしい。でもBBはジョニーに発破をかけた。“オマエはまだ65歳の若造だ。オレが65の時には年間200本のライヴをこなしていた。いまだってツアーに出ていろんなところで演奏している。オレより20も年下のオマエが引退だなんてとんでもない。弱音を吐くな!”って。その言葉に触発されたのか、次の日、ジョニーは、“ツアーに出るぞ! すぐにツアーをブッキングしろ!”ってマネージャーに言ったんだよ(笑)」。BBは、いまでもジョニーに活力を与え続けているらしい。また、ジョニーは、弟のエドガー・ウィンターとの共演ライヴもたまにやるそうだ。「その時は、まずエドガーのバンドが演奏し、次に僕ら(ジョニー・ウィンター&バンド)がプレイして、そのステージの後半にエドガーが加わるのさ」。これはチャンスがあればぜひ観てみたいものだ。

ジョニー・ウィンター&バンド LIVE in Germany!
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ステージに上がる直前にカメラに向かってくれたジョニーのバックの3人。左からヴィト・リウッツィ(ds)、スコット・スプレイ(b)、ポール・ネルソン(g)
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 キャパ500人くらいのオール・スタンディングのそのクラブは、10歳ぐらいの子どもや若い男女、そして中年~壮年までの幅広い年齢層のファンが詰めかけて満員、ソールド・アウトだった。サポートのライヴが終了し、メイン・アクトの機材がセットアップされた舞台の中央手前にはイスが置かれている。B.B.キングと同じように、ジョニーもイスに腰掛けて演奏するのだ。会場のあちらこちらから拍手や口笛に混じって「ジョニー!」のコールが飛び交う。開演予定時刻の夜10時を少し過ぎたころ、バンドのメンバー3人がアップテンポのシャッフル・ブルースをプレイする中、ジョニーがギター・テックの左肩に自分の右手をかけながら慎重な足取りでステージ横の控え室に入った。そこで髪とハットを整えてからオーディエンスの前に登場、椅子に腰掛けて白いレイザー・ギターをテックから受け取り、素晴らしい勢いでプレイしはじめた。一聴しただけでジョニー・ウィンターと分かるそのエネルギー溢れるブルース・プレイは、レコードで聴いていた全盛期70年代の演奏と比べても遜色はない。声も張りがあって良く出ている。会場内の最前列の観客は、そのジョニーのプレイを目と鼻の先の至近距離で堪能している。低い舞台のため、後ろの方にいるオーディエンスにはジョニーのハットがわずかに見える程度だ。ジョニーは、上体をほとんど動かさないで目もあまり開かずにギターを弾きながら歌う。曲が終わると、時々ペット・ボトルの水を口に含み、おもむろにマイクを通して次の曲名を言ってカウントを出し、黙々とプレイして行く。この日、約90分のステージでワン・アンド・オンリーの歌とギターの演奏をたっぷりと観せてくれた永遠のブルース・マンは、最後の2曲でトレードマークの茶色のファイアーバードに持ち替えてスライド・プレイも披露した。
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ライヴ終了後にヴィトが書いてくれたこの日のセット・リスト(下)
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ジョニーの使用機材
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ジョニーは、ヘッドレスで小振りのボディをもつレイザー・ギターをメインに使用している。本人曰く、「レイザーの魅力は、サウンドが良くてとても弾きやすいこと。小さいから持ち運びもラクなんだ」。
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70年代にメイン・ギターとして愛用していたギブソンのファイアーバードは、現在はスライド・プレイ専用で使っている。リアとフロントPUの間のボディ表面が長年の使用によるピッキングで削られていた。また、ドブロも弾くがこれはツアーに持ちだすことはなくスタジオでのみ使用するとのこと。
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ライヴ中はブルーのヘフナーのギターが楽屋に置かれていた。レイザーがトラブった時に備えてのサブと思われる。
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ジョニーのエフェクターは、ボスのコーラス(水色のもの)1個だけ。写真手前に見えるエフェクター・ボードはセカンド・ギタリスト、ポールのもの。また、ジョニーのギター・アンプは、ミュージックマンのフォー・テン(410HD)。
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ジョニーと同じ金髪のファンが最前列でじっと見つめる。

 ジョニー・ウィンターの生のライヴをひと目観てみたい、ぜひ日本でコンサートをやってほしい、という熱烈なファンが日本には大勢いるに違いない。ジョニーが年をとり、ひとりでは歩行もままならない状態のいま、その思いはさらに強いものになっているかもしれない。だが、残念ながらインタヴューで本人が断言した通り、今後も彼のライヴが日本で行われることはないだろう。過去にヘロイン中毒などの重度のドラック問題を抱え、その修羅場をくぐり抜けてきたギター・ヒーローにとって、医師が処方する合成鎮痛薬の服用を避けることができない状態で、その薬剤に対する法律が異なる国でギターを弾くのは現実的ではないのだ。

 アルビノ=先天性白皮症のジョニーにとって、光はとても眩しいらしい。ステージでハットをかぶるのは、格好付けではなくて強烈なライトの光を遮るためでもあるようだ。視力もかなり弱いらしい。ジョニーと同じアルビノ体質で世界的に名前が知られるミュージシャンと言えば、まず最初に彼の弟エドガーが思い出されるが、その他にも西アフリカ・マリ出身のシンガー、サリフ・ケイタやジャマイカ・キングストン出身のレゲエDJ、イエローマンなどがいる。ある古い書物には古代の大洪水から生き物を救ったあの救世主ノアもアルビノだったという記述も残っているらしい。その真偽のほどは誰にも分からないが、真っ白な男(不思議なことに話に出るのはみな男性)は、何か特別な才能・能力を持っているのかもしれない。
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【追記:インタヴューの文中にも追記したが、ジョニー・ウィンターは2011年4月に初来日を果たして東京で公演を行い日本のファンに元気な姿を見せてくれた。「やはり」と言うべきか、ジョニーの日本でのライヴを観た人の話では、会場に集まったファンの年齢層は高めだったようだ。】

【訃報:2014年7月16日、ヨーロッパ・ツアー中にスイス・チューリヒのホテルで死去、70歳。ご冥福をお祈り致します。】

日本のジョニー・ウィンター・ファンサイトによる来日公演レポート >>
Johnny Winter Official Site ジョニー・ウィンター公式サイト >>
Johnny Winter Official MySpace Site ジョニー・ウィンターのマイスペース >>

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# by reijimaruyama | 2009-10-20 08:26 | Musician / Interview

 マイケル・ブレッカー(ts)亡きあとの現代のジャズ界において、そのサックス・シーンを牽引するもっとも重要な人物のひとりと言えるのがブランフォード・マーサリス(sax)である。素顔のブランフォードは、サックスのプレイと同様にとても多弁で自分の考えることをストレートに言葉で表す気さくな人柄。だが、それと同時に雑誌の取材にはあまり応じないタイプのミュージシャンでもある。筆者は、ジャズライフの記事のために、2009年5月18日にドイツ・フランクフルト市内のホテルに滞在するブランフォードを訪ねて2時間近くにおよぶロング・インタヴューを行った。
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Branford Marsalis
オランダのノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルでジョン・コルトレーンの『至上の愛』を演奏した時のブランフォード・マーサリス(2006年7月13日撮影)

 2009年3月にブランフォード・マーサリス・クアルテット(以下BMQ)名義でニュー・アルバム『メタモルフォーゼン』をリリースしたブランフォードは、この時までその新作に関する日本の雑誌からの取材を受けていなかった。さらに、これまで30年間演奏活動を共に続けてきた才能溢れる実力派ドラマーのジェフ・“テイン”・ワッツが新作発売後にバンドを脱退、そのため、新作のフォローアップ・ツアーとなるこの欧州遠征には弱冠18歳の新人ドラマーが急きょ参加する、という大変化もあった。ブランフォードにしてみれば「いろいろ話したい」状況だったに違いない。こちらにしてみればラッキーなタイミングだった。

 ブランフォードとの約束の時間は午後6時。彼は、その夜のライヴのために午後7時45分にホテルを出て、タクシーで会場に向かうことになっていた。だがインタヴューは予想以上に長引き、ブランフォードは、会場入りの時間が迫っても筆者の目の前で荷物を片付けたり歯を磨いたり、最後はステージ衣装に着替えながら話しを続けた。
  この時のインタヴューと、そのあとに行われたコンサート(新人ドラマー、ジャスティン・フォークナーが加入してのライヴ)の記事は、ジャズライフ2009年7月号に掲載されたが、即興的な会話も多かったブランフォードのロング・トークをその記事の中にすべて書き込むことは到底不可能だった。取材の録音ディスクを文字に起こしてみると、なんとそれは編集部から指定された文字量の約6倍もあったため、その原稿は大幅に削る必要があったのだ。冒頭で述べたように、ブランフォードはめったに雑誌の取材に応じない。当然ながら、ファンが彼のインタヴュー記事を目にする機会は少ない。あまり聞くことの出来ない彼自身の言葉を筆者のパソコンに封印しておくのはもったいない。もちろん、この取材で集めた“おいしいところ”は、ジャズライフに掲載されているが、ブランフォードの人となりを垣間見せてくれるものはまだ他にもある。そこで、ジャズライフに収めきれなかった未発表の部分を可能な限りここで紹介する。
 1960年8月26日、ニューオリンズ生まれのサックス・マン、ブランフォード・マーサリスのロング・トーク。文字通り長文であることを最初におことわりしておいた方が良いかもしれない。
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Branford Marsalis Quartet 2009
2009年5月18日にフランクフルトで行われたライヴのショット。ちなみにこのあとの写真はすべてこの日に撮影したもの。

ブランフォード・マーサリスのロング・トーク&そのあとに行われたライヴ >>
# by ReijiMaruyama | 2009-06-30 23:04 | Musician / Interview

 とにかく暑い。それにすごい砂ぼこり。のどはカラカラで体中のいたるところから汗がダラダラと流れ出てくる。ブルキナファソは、西アフリカの内陸部にある共和制の国。南部は、コートジボアール、ガーナ、トーゴ、ベナンという海に面した4つの国と国境を隔て、北部は、準砂漠地帯(サヘル地帯)のマリとニジェールの2カ国に接している。日本の国土の4分の3ほどの広さを有するこの国は、北へ行くほど乾燥の度合いが増す。雨期と乾期がはっきりと別れており、6月から9月までの間に大量の雨が降って作物が育ち、それ以外の時期はカラカラに乾燥した日々が続く。1〜2月頃は、砂漠の砂が風で舞い上がることにより昼間でも空が薄曇りのようになって、“満月のような太陽”が照るハルマタンのシーズン。筆者が訪れた3〜4月は年間を通して最も暑い時期だった。公用語はフランス語。ブルキナ国内には、モシ語、ジュラ語など約20の部族語があるが、識字を持つ部族語は6つしかない。国民の多くは古くから現地に伝わるアフリカ旧教を信仰するが、モスレム教が3割程度、キリスト教も1割ほど信者がいる。首都はワガドゥグ。
 ブルキナファソの音楽についての話題を第16回の“音楽編”に記したので、今回は現地の人々の生活の様子を中心に紹介してみたい。
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マンゴーの木が強い日差しを遮ってくれる。炎天下、ものを頭に乗せて歩くのは“一石二鳥”。

「ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ〜生活編」本文を読む >>
# by ReijiMaruyama | 2009-01-10 20:20 | Burkina Faso

 「アフリカのリズムを学びたいと思ったら、3ヶ月ぐらいそこに住むのが一番だよ」。以前、リチャード・ボナ(第8回:アフリカン・テイル参照)にインタヴューした時に聞いた言葉がずっと頭から離れなかった。「アフリカに長期滞在してみたいが、そのための予備知識もコネもない。さてどうしたものか……」。そんな時、運命の巡り合わせとは面白いもので、アフリカにコネクションを持つドイツ人カップルと出会い、楽器の買い付けを目的とする彼らのアフリカ行きに同行することができた。訪れたのは、西アフリカ・ブルキナファソの南西部にあるブルキナファソ第二の都市ボボディウラッソ(通称ボボ)である。2002年3月10日から4月10日までの4週間、バラフォンとジャンベ製作者たちの仕事ぶりを間近で見ながら、本物のアフリカン・グルーヴとそのヴァイブレーションに浸った。もう7年近くも前のことだが、このブルキナファソ訪問はいまだに強い印象を残している。今回は、その旅行中に体験した、ボボの音楽と楽器に関係する話題を、その時に撮影した写真を交えてお伝えする。なお、現地滞在中にかいま見た人々の日常生活に関することは、次回“生活編”で紹介したいと思う。
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Miriyagnouma
ボボで活動するバンド“ミリヤグノウマ”のリハーサル風景



ジャズの根源、ディープ・ウエスト・アフリカ体験記~音楽編 >>
# by reijimaruyama | 2009-01-05 21:42 | Burkina Faso

 ドイツ中西部のライン川沿いにある小都市レヴァークーセンは、ゴシック式の大聖堂(Dom)で有名な文化都市ケルンから北に車で15分たらず、日本人駐在員の数が多いことでも知られる商業都市デュッセルドルフからは南へ車で20分ほどのところにある。この街で毎年11月に開催されるLeverkusener Jazztage(レヴァークーゼナー・ジャズターゲ)は、老練のベルリン・ジャズや北ドイツのジャズ・バルティカなどと共に、ドイツ国内では“指折りのジャズ祭”のひとつとして音楽ファンの間で定着しているジャズ・フェスティヴァルである。
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Leverkusener Jazztage 2008
November 01 - 09 2008 Leverkusen, Germany


 第29回目を迎えた2008年のJazztageは、11月1日から9日までレヴァークーセン市内にあるコンサート・ホールやクラブなど、合計7つの場所で48アーティストのライヴが行われた。中でもメイン会場となったホール“フォーラム”で組まれていたプログラムが注目の的で、目玉は、何といっても6日目(11月6日)に出演したチック・コリア(p,kb)とジョン・マクラフリン(g)の双頭ユニット“ファイヴ・ピース・バンド”だった。バンドのメンバーは他に、ケニー・ギャレット(as)、クリスチャン・マクブライド(b)、ヴィニー・カリウタ(ds)という強者ミュージシャンで固められている。この顔ぶれを見ただけで、そのステージがどのようなものであったか、フュージョン・ファンならすぐに察しはつくだろう。このライヴの様子とレヴァークーセン・ジャズ祭リポートは、ジャズライフの2009年1月号で詳しく報告した。また、“ファイヴ・ピース・バンド”は、欧州各国22都市を回ったその2008年ヨーロッパ・ツアーの模様を2枚組のライヴ・アルバムにして翌2009年2月に発表し、ジャズライフ3月号ではそのアルバムをフィーチャーした特集記事が組まれた(これらの記事の一部を見る)。さらにバンドは、ライヴ盤のリリースに合わせて同2月に来日。ブルーノート東京で行われたそのライヴでは、ヴィニー・カリウタに代わってブライアン・ブレイドがドラムを叩いている。
 さて、ここでは2008年のジャズ祭3日目(ロックパラスト・ギター・スペシャル)に出演したドミニク・ミラー、エイドリアン・ブリュー、リヴィング・カラーのライヴを、ジャズライフの誌面に収めることができなかった写真と共に紹介してみたい。

“Rockpalast Guitar Special”とタイトルがつけられた3日目のプログラム
トップ・バッターはスティングのギタリスト

 この日は、ギター・ファン向けの3本立てライヴが行われた。まずは、スティングの“右腕ギタリスト”として、これまで20年近くに渡ってアルバムとライヴの両方からスティングのサウンドを支えてきたドミニク・ミラー(g)が自己のグループで登場。ドミニクは、ニコラス・フィースマン(b,g)とラニ・クリヤ(perc)、それにレベル44のメンバーでもあるマイク・リンドアップ(p)の4人編成で、ドミニクのソロ1作目『ファースト・タッチ』(96年)の収録曲を中心に、これまでに4枚出している自身のアルバムの曲や、スティングがドミニクの曲にフランス語の歌詞を付けて歌った「悔いなき美女」(スティングの96年のアルバム『マーキュリー・フォーリング』に収録した曲)のインスト・ヴァージョンなどを披露。ナイロン弦のアコースティック・ギターによる美しいサウンドと楽曲でオーディエンスを魅了した。
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Dominic Miller

Adrian Belew Power Trio
 2番手は、エイドリアン・ブリュー(g,vo)・パワー・トリオ。エイドリアン・ブリューは、70年代後半にロック界の大奇才フランク・ザッパに見いだされて世界デビューした後、デヴィッド・ボウイ(vo)のバンドやトーキング・ヘッズ、トム・トム・クラブ、ベアーズなどで活動。82年にキング・クリムゾンに参加し、現在に至るまでクリムゾンの中心人物ロバート・フリップ(g)に次ぐ重要メンバーとして活躍。1982年にソロ1作目『ローン・ライノウ』を発表して以来、これまで多岐にわたる音楽スタイルによるリーダー・アルバムも数多くリリースしている。
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Adrian Belew
 そのライヴは、バンド名が示す通りにエネルギッシュなステージ。しょっぱなからパワー全開の演奏を観せるブリュー。昔から“象の声”などのカラフルかつ奇妙なサウンドをギターで生み出すのを得意としていたが、このライヴでもループ・マシンやディレイ、エコー、フランジャーなど、いくつものエフェクトを駆使した得意技をたっぷりと披露。それを支えるバックのリズム隊2人は若い姉弟で、ベースの姉(ジュリー・スリック)は現在22歳、ドラムの弟(エリック・スリック)は21歳。ジュリーは、終始クールな表情で時々粋なアクションも観せながらキッチリとボトムを支え、エリックは、ブリューも思わず笑みをこぼすほど“イケイケ感”抜群の元気なドラミングで、主役ブリューのギター・プレイと共にこのトリオの見どころだった。

はだしのジュリー
 このライヴ終了後に行ったエイドリアン・ブリューのインタヴューもジャズライフ1月号に掲載されているが、当初その原稿の中に入れようと考えていながら、ひとつだけ書かなかったことがある。それは、ベースのジュリー嬢がステージの上で“はだしでプレイしていた”こと。その理由を終演後の彼女に聞いた。「2年前に行ったエイドリアンとの初ライヴで、かかとのついた靴を履いていたらコンサートの途中で片方のヒールが壊れて飛んじゃった(笑)。それでしかたなくはだしになってステージを続けたんだけど、それを見たエイドリアンがとても気に入ったの。だからそれ以来ステージではいつもはだしなのよ」。
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Julie Slick
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Eric Slick

Living Colour
 この日のラストは、80年代後半のメタル全盛時代に“黒人ヘビメタ・バンド”として注目されて人気を博した4人組、リヴィング・カラー。バンドの中心人物、ギタリストのヴァーノン・リードは、ロナルド・シャノン・ジャクソン(ds)のコンボへの参加やビル・フリゼール(g)と制作したアヴァンギャルドなアルバム『Smash & Scatteration』(84年)などが証明する通り、ジャズ畑でも立派に通用する実力の持ち主。リードは、ローランドVG-99(ギター・モデリング・システム)やコンピュータも駆使したぶ厚いギター・サウンドによるスピード・プレイを観せながら、ペダル・エフェクターを多用するベースのダグ・ウィンビッシュと共に、まさに生きた色彩のヘヴィなサウンドを作り出す。そして、そこにウィル・カルホーンのタイトなドラム・グルーヴが絡み、コーレイ・グローヴァーがシャウト。迫力と緊張感に満ちたスリル満点の演奏を展開した。今回のツアー中に書いたという新曲も披露したこの日のステージでは、結成から20年以上の時を経てもバンド内の創作力が落ちていないことを実証して見せてくれた。
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Doug Wimbish(b) & Corey Glover(vo)
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Will Calhoun(ds)
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Vernon Reid(g)
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 最後に、会場内にあったケルシュ(ビール)売り場。ドイツには地域ごとに実に数多くの種類のビールが存在する。その中でも全国的に人気のあるピルスは、見た目が黄金色に透き通り味もさっぱりとキレの良い苦みで日本のビールに似た感じ。ケルシュ(地元の人は“ケルチ”と発音する。少なくとも筆者の耳にはそう聞こえる)は、見た目はピルスに似ているが、ピルスよりもさらにのどごしが良くて飲みやすいケルンの地ビール。酒が苦手の筆者でも0.2ℓの細長いグラスで2杯ぐらいはイケる。

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# by ReijiMaruyama | 2008-12-21 19:00 | Jazz Festival

 ちょうど1年前の今日、2007年9月11日にジョー・ザヴィヌル(kb)が亡くなった。筆者が最後にザヴィヌルの勇姿を見たのは、その2ヶ月前にオランダのロッテルダムで行われたノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの初日(2007年7月13日)に出演したザヴィヌル・シンジケートのライヴだった。ザヴィヌルの愛したドラマー、パコ・セリを加えたバンドの演奏はとてもエネルギッシュで、ザヴィヌル本人もいつものようにステージ上でメンバーに自身の身振り手振りやその表情であれこれと指示を与えながらのプレイでザヴィヌル節が全開だった。その時は、「ずいぶんやせたなぁ」と思ったが、まさかあの後すぐに具合が悪くなって、あんなに早く逝ってしまうとは夢にも思わなかった。
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Joe Zawinul
2007年7月13日、死の2ヶ月前にノース・シー・ジャズ祭に出演したジョー・ザヴィヌル

 2002年の夏、ジャズライフの記事のためにノース・シー(当時はハーグ市で開催されていた)でザヴィヌルにインタヴューした。その時、はじめてお互いに目と目を合わせたのだが、そこで筆者はザヴィヌルから個人的なお褒めの言葉をいただいた。「君は輝いているね(you are bright)」というその言葉にとても勇気づけられたのだ。こちらは、以前からあこがれていた天才ミュージシャンに対していろいろと質問することができて、ただ舞い上がっていただけなのかもしれないが、ザヴィヌルの目にはそれが“輝いて”見えたのかもしれない。そんなこともあって、これまでにも時代を築いた素晴らしいミュージシャンが数多く亡くなっているが、昨年9月の「ジョー・ザヴィヌル逝く」の報は個人的に特別なものだった。「ザヴィヌルの本拠地だったウィーンのバードランドを訪ねてみたい」という思いは自然とこみ上げてきた。そして、ザヴィヌルの49日を数日過ぎた頃に当たる11月2日と3日に、バードランドでリチャード・ボナのライヴが2日間組まれているのを知り、「これがチャンス!」と意を決した。

 2007年11月2日金曜日、小雨のぱらつく午後のケルン空港(ドイツ)を飛び立ち、1時間半後に曇り空のウィーン空港(オーストリア)へ到着。その足ですぐにウィーン市内中心部のヒルトン・ホテルの地下にあるジョー・ザヴィヌルのバードランドへ向かった。その夜はボナ・バンドのライヴを観たあと、ザヴィヌルの息子(次男)エリックに会いバードランドに関する話を聞いた。そして翌日、ザヴィヌルのマネージャーを20年間務めたリザ・ツィンケ(Risa Zincke)女史にインタヴューし、さらに彼女の案内でザヴィヌルのお墓参りをした。この時のウィーン取材リポートは、ジャズライフ2008年1月号に掲載されたが、ここではその記事の中に収めきれなかった話をかいつまんで写真と共に紹介してみたい。特に、ただひとりだけジョー・ザヴィヌルの75年と2ヶ月の人生最後の瞬間を見届けた人物であるツィンケ女史は、ザヴィヌルが2007年夏のラスト・ツアーを終えてから死の床に伏して最期に至るまでのあまりにも悲しい様子も話してくれたので、今回あえてその部分も記しておこうと思う。

ジョー・ザヴィヌルズ・バードランドとウィーン中央墓地 >>

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# by ReijiMaruyama | 2008-09-11 23:49 | Musician / Interview

 「これが新人か!?」とおもわず言いたくなるような“大ベテランのオーラ”を放つ女性シンガーが現れた。去る2008年7月12日、オランダのロッテルダムで行われたノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルの2日目に出演したメロディ・ガルドーのライヴを観て、彼女の“大物ぶり”にノックアウトされてしまった。
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Melody Gardot

そのステージは……
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Melody Gardot Live
 ロングの金髪にうすい色つきメガネと真っ赤な口紅ですらりとしたスタイル。ステッキを持って薄暗い舞台に登場したガルドーは、まずはたったひとりでスキャットを披露。その瞬間から聴衆を自分の世界にしっかりと引きずり込んだ。2曲目からはトランペットとベースとドラムをバックに歌い、さらに自らもピアノを弾いたり、アコースティック・ギターで弾き語りも観せる。
 彼女の本国アメリカやヨーロッパでは今年の春に発売され、もうすぐ日本でもこの8月27日にリリースされる彼女のデビュー・アルバム『夜と朝の間(はざま)で』(UCJ/原題:Worrisome Heart)に収録された曲(すべてガルドーの作詞作曲)の他に、「Ain't No Sunshine」や「Over The Rainbow(虹の彼方に)」などのスタンダードも織り交ぜたそのステージでは、女性ジャズ・ヴォーカルの巨星ビリー・ホリデイやエラ・フィッツジェラルド、ニーナ・シモンなどに通ずる個性的な歌いっぷりだけでなく、ピアノを弾く時に椅子に座ってハイヒールを脱ぎ捨て、弾き終わると今度はそのクツを素足で探るが片方が見つからず、「シンデレラ症候群かしら(笑)」などと冗談を言ったり、自分の黒い網タイツのほつれをMC材料にしてしまうという開けっぴろげな余裕も見せてくれた。飾り気のないそのしぐさが身近な女性を感じさせなくもないが、それと同時に「我々には手の届かないとてもスペシャルな存在」という絶対的な雰囲気も強烈に放つ。美しくも妖しい魅力を振りまきながら、ジャズ特有の深み、物悲しさやけだるさといったものをこれだけ自然に表現することができる女性歌手には、ここ最近お目にかかっていなかった。
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シンデレラ症候群!?

 米国フィラデルフィア出身のシンガー・ソングライター、メロディ・ガルドーは、現在23歳。彼女の公式サイト(www.melodygardot.com 現在このサイトは行方不明?)によると、ガルドーは19歳のときに自転車で車にはねられて重傷を負い、その後遺症のため今でもサングラスとステッキが離せないという。いろいろな情報を総合すると、その事故は下半身麻痺や記憶障害(一時的なもの)、さらに視覚聴覚等の障害をともなう生死に関わる重大なものだったらしい。しかし彼女は、医師の勧めにより以前から好きだった“歌う”という音楽セラピーを行い奇跡的な復活を遂げたそうだ。なるほど、彼女の歌の深みが半端じゃないのは、そんな背景も大きく影響しているのであろう。
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写真はすべて2008年7月12日、ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルのステージから。

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# by ReijiMaruyama | 2008-08-13 06:18 | Musician / Interview

 ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルは、毎年7月の第2週末の金、土、日の3日間に渡ってオランダのロッテルダムで開催される世界有数のジャズ・フェスティヴァルである。1976年に第1回目が開催されて以来、毎年ハーグ市内で行われていたこのジャズ祭は、2006年から開催地をロッテルダムに移した。現在その会場となっているロッテルダムのアホイ(AHOY')は、中央駅や観光名所があるロッテルダムの中心部とは港をはさんだ対岸の市内南部にある広大なイヴェント・スペース複合体だ。
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North Sea Jazz Festival 2008

 このジャズ祭の最大の魅力と特徴は「ジャズとジャズに関連するあらゆるスタイルを含む“広義のジャズ”の上質ライヴが大小いくつものステージで同時進行する」というその贅沢なスタイルである。その“ジャズ漬け”状態は尋常ではない。午後6時から夜中の2時過ぎまで、気力と体力と入場券さえあれば、有名アーティストのコンサートを1日に5つ観ることも可能だ。毎年、ジャズの大物ベテランや実力派の中堅、期待の新人はもちろん、ブルースやソウルの大御所、それにR&B、ファンク、ラテン、アフロ、ヒップホップ等の“ジャズに近い”領域で活躍する様々なミュージシャンが出演する。「ジャズは生きている。雑多で、そして常に動いている」。そんな主催者の言葉通り、出演アーティストは多岐にわたり、プログラムにはジャズ・ファンが「観たい!」と思うミュージシャンの名前がめじろ押しだ。

世界最大のインドア(屋内)・ジャズ祭
 こんなジャズ・フェス、他にない! 迫力満点のビッグバンドやゴリゴリのストレート・アヘッド・ジャズからコンテンポラリー・ジャズ、フュージョン、ロック、ラテン、ファンク、ソウル、あるいは“DJ電気系”まで、“量”とともに“質”の高さにおいても世界中の他のどのジャズ・フェスもノース・シーにはまず及ばないだろう。目の前でパット・メセニーが演奏しているかと思えば、すぐ隣のステージではハービー・ハンコックやウェイン・ショーター、カサンドラ・ウイルソンらがライヴを行い、1万人収容の大ホールにはポール・サイモンやアリシア・キーズなど“超”のつく大物人気アーティストが登場、さらにクラブ的な雰囲気を醸し出す小さめのホールでは注目の新人が熱演する。こんな状況だから出演するミュージシャン達も否応無しに気合いが入る。自由奔放なこの国オランダのオーディエンスの率直な反応も手伝って、ステージは白熱し、素晴らしいミュージシャンがまたさらにすごい力を発揮する。観客は演奏が気に入らなければどんどん席を立って別のホールへと自由に鞍替えすることができるため、アーティストにとっては、きびしい評価が下されることもあり、これがまた「自然と気合いが入る」要因にもなっているのは疑う余地がない。広い会場内に約15のステージが設けられ、3日間に合計200ちかい数のプログラムが繰り広げられる。ほとんどのコンサートが75分間で、聴いていてだらけない長さでちょうどよい。ノース・シー・ジャズ・フェスティヴァルは、ジャズやジャズのフィーリングを取り入れたコンテンポラリー・ミュージックが好きな人にはたまらない、3日間どっぷりジャズ漬けのオランダ北海のジャズ・マラソンである。筆者は、このジャズ祭を1999年から毎年取材しており、その記事はジャズライフに掲載されている。だいたい毎年9月号。興味のある方はぜひそちらもご覧になっていただきたい。ジャズライフに掲載されたノース・シーの記事の一部はこちら >>

 ここでは、2008年7月11日から13日まで盛大に開催されたジャズ祭の会場内の様子を写真で紹介してみよう。

1万人収容の大ホール“ナイル”
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会場内でもっとも大きなこのステージには、毎年、大物ミュージシャンが数多く登場する。開催第33回目となった2008年は、ポール・サイモンやジョージ・ベンソン、アリシア・キーズ、メイシオ・パーカー他が出演した。写真は、2008年7月12日(ジャズ祭の2日目)に行われたチャカ・カーンのコンサート。

2番目に大きな6000人収容“マース”の舞台の袖から
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アンジェリーク・キジョー(vo)・バンドのパーカッショニスト、イブラヒム

ステージ以外にも……
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飲み物や食べ物のスタンドも充実。さらに、Tシャツやキャップ他のマーチャンダイズ(ジャズ祭グッズ)をはじめとして、古いジャズのレコードやCD、サックスやギターやパーカッション等の楽器、ミュージシャンの写真やポスター、アート、アクセサリー等を売るお店も設けられている。
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ちょっと異様なオブジェ! よく見るとサックス・プレイヤーだった。

ちょっと失礼、楽屋拝見
 ここだけ2007年のショット。
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大ホール“ナイル”のバック・ステージにあったケイティ・メルア嬢のドレッシング・ルーム(上)と、その2時間後に行われた彼女のステージ(下)。2007年7月13日撮影。
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3日間にのべ7万人の音楽ファンがアホイに集まる
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会場入り口の手前右側にもステージが設けられ、ファンキーなソウルやブルース・バンドなどが入場を待つファンを楽しませてくれる(上)。
こちらは、入場してくる人々を会場内のプレス・ルーム前から見たところ(下)。
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ジャズライフに掲載されたノース・シーの記事の一部をみる >>

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# by ReijiMaruyama | 2008-07-31 23:59 | Jazz Festival